陥没ストマ?

ストマと言うのは手術後2ヶ月ほど立たないと落ち着きません。切ってすぐは水様便で刺激性が高く、徐々にそれが治まってきます。また、術後すぐは腸管を切ったばかりなので全体的に腫れているのでストマも大きいのです。そこから徐々に傷の癒えとともにストマは縮んでくるのです。形が定まるには2ヶ月程度かかります(その後も加齢と共に少しずつ変化していきます)。ストマの装具(パウチ)のサイズも徐々に替えていく必要があります。

私の今回作った一時ストマですが、術後すぐの状態で皮膚より5ミリほどの高さしかありませんでした。2002年にK先生に作ってもらった時は、本当にお腹に大きな梅干がくっついているようなものだったのですが、今回はお腹に直接穴が開いているような状態です。
それが一ヶ月もすると陥没してきました。ストマごとお腹の中に入ってしまった感じです。

陥没ストマの例
陥没ストマの例

陥没ストマでもちゃんと機能さえしてくれれば別に問題無いのですが、困った事に流れ出てきた便が一部パウチに排出されずにそのまま肛門方向に流れ出てしまうようになりました。2穴ある一時ストマだからこそ起こった問題です。
(※1穴しかない永久ストマなら陥没していようがしまいが、単に便が出てくるだけですのでこの問題は起こりません)
これは痔ろう手術を控えている事を抜きにしても問題です。便漏れから開放されたいがために人口肛門にしたかったのに、それも止まらずさらには人口肛門の苦労も伴ってしまうのです。

しかしひとまず目前に迫った痔ろう手術を終わらせなければなりません。痔ろうさえ治れば多少は楽になるでしょうか。

一時人口肛門造設手術

スケジュール的に、先に一時ストーマの造設、その2ヵ月後くらいに痔ろう根治手術という事になります。ストマの方はいつものM病院、執刀は痔ろう手術と同じA先生に決まりました。入院期間は2週間の予定です。

入院すると、翌日の手術の説明をA先生から受けてから、いつものように腸管洗浄剤でお腹の中を空っぽにします。ちなみにM病院はニフレックでは無くマグコロールを使ってます。水溶性の強力下剤(ラキソベロンだったかな?)をコップ1杯の水に溶かして飲んでから、マグコロールを1リットル飲みます。
これはニフレックに比べるとずいぶんと楽です。多分ニフレックは30回以上、マグコロールは数回使っていますが、マグコロールの方が飲むのは楽ですね。

お腹が空っぽになっら翌日の手術まで点滴しながら絶食です。点滴していると不思議と空腹感は無いです。看護師さんに訊いても特にそういった成分は入ってないとの事なんですけどね。
また、いつも前日夜に「眠れなかったら眠剤を出します」と言われるのですが、これも貰った事はありません。メンタルが鈍感なだけかもしれませんが、手術前夜に朝まで眠れなかったと言う事は有りません。

手術当日になりました。今回もてくてく自分の足で歩いて手術室に入ります。もう全身麻酔の開腹手術も3回目なので慣れたものです。
手順もいつもと変わらず、手術台に横になり、裸にされたら横向きに背中を丸めて脊髄に管を入れてもらい、仰向けになったら心電図センサーや血圧センサー等を取り付けられ、麻酔のマスクを付けて深呼吸を「1.2、3・・・」
「ibdlifeさ~ん、わかりますかぁ~?おわりましたよぉ~!」ほっぺたを叩かれて終了です。
2時間ほどでさっくりと終わった手術でした。

2002年の大腸全摘出の時に作った一時ストマは右脇腹だったのですが、今回は左になりました。本当はあまり腹を穴の痕だらけにしたくなかったので、最初のマーキングは右にしてもらったのですが、入院前日についうっかり熱い飲み物を腹にこぼしてしまい、軽いやけどを予定位置に作ってしまったため、じゃあ左と言う事になりました。結果的に左で良かったと思っています。左右どちらも経験しましたが、右利きの私としては左にあった方が使い勝手がいい感じがします。

手術時間が短かった事もあり、体力の消耗はほとんど無く術後の経過は良好、あっという間に傷はくっつき食事も始まって何の問題も起こりませんでした。ストマの担当として男性看護師が付いてくれて、当初の張り替えや今後のストマの選定など色々相談に乗ってくれました。
その結果、抜糸もあっという間に終わり、予定より早く術後10日で退院となりました。

すべてが順調に終わったように見えた今回の手術ですが、ただ一点気になることが・・・。ストマの高さがずいぶんと低いんですよねえ・・・。

難病医療費助成の再申請

痔ろうをどうするかに関しては数ヶ月K先生と話し合いました。痛みと不快感はあるもののすぐに処置をしなければならない訳ではありませんし。
私は現在のように便漏れが一生続くようであれば、永久人口肛門も厭わない覚悟でした。あの大腸全摘出手術の折の2ヶ月のストマ生活は、大変ではありましたが十数年排便で苦労してきた身には、排便を気にしなくていいという何物にも代えがたいような爽快さがありましたし、ましてやこの便漏れが続く限り痔ろうは何度も再発するでしょう。それに対してK先生は永久人口肛門には大反対でした。
せっかく11時間もの大手術に耐えて繋げた肛門を、まだ若いのにそんなに簡単に諦めていいのか、人口肛門の生活というのはそれほど容易いものではない、必ず後悔があるだろう。というのがK先生の主張です。

それでも痔ろうをそのままに放って置くわけには行かず、K先生と私とで妥協的な方針がまとまってきました。
手術はM病院では無く、ベテラン専門医のいる肛門科病院で行なう(K先生が紹介状を書いてくれる)。それに先立ちM病院で一時人口肛門造設手術を行なう。痔ろうが完治した上で今後、ストマを戻すかどうかは決める。という方向です。
何しろ痔ろう治療が排便を止めないとまた一回目の手術のように失敗しかねません。排便を一時的にストップするには一時ストマが最適ですし、私もストマ生活に希望を持っているので、妥協案としては満足できるものです。
しかし、私としては再び肛門に繋げたとしても、この水便が現在より改善する見込みが無いことも予想していましたし、再び肛門周囲膿瘍を起こして痔ろう化という可能性も高いと考えていました。それならここで永久人口肛門にすれば何度も腹を開けるような大きな手術をしなくて済むと言う心残りがありました。

もうひとつ、痔ろう手術に向けての課題がありました。数年前に軽快者として適用外になった難病医療費助成の再申請です。以前大腸全摘出済みのUC患者は、ほぼ自動的に軽快者に分類されて助成を切られると書きました。ただし、大きな合併症が無い限りです。その大きな合併症が今の状態で、再び人口肛門にしようとしているのですから、再申請の大きなチャンスだと考えました。しかし、可能性は半々ではないかと思っていました。
助成を切られていても、難病登録者のままなので再申請は新規より多少はハードルが低いと聞いています。新規申請と同じように大量の書類が必要ですが、特に現状の診断書(専用の書式があります)はK先生と内容について相談し、出来るだけこの悪化している状況を詳しく書いて欲しいと頼みました。

結果的に目出度く再申請は承認され、再び医療券を手にすることが出来ました。
再申請のメリットは、申請数ヵ月後に承認されたとしても、助成は悪化が始まった時点に遡って出ることです。ですので手術後に適用が始まったとしても、手術費用は助成対象になります。
しかし今回は、ストマ手術に間に合いました。合併症として痔ろう手術も助成対象になったと思います。これで準備は整いました。再び人口肛門との付き合いが、今度は長期に始まります。

痔ろう根治手術(一回目)

そんな訳で、複雑痔ろうの根治手術を行なうためにM病院に入院しました。術式は「括約筋温存手術(くりぬき法)」、入院期間は10日ほどの予定です。くりぬき法とは痔ろうのトンネル(ろう管)を拡張してくりぬき、肉が盛り上がって穴を塞げば完治という手法です。括約筋を切らないので、肛門機能には影響が無いとの事ですが、再発率も高く何度か繰り返す場合もあるようです。
私の場合、そもそも肛門機能が怪しいので、少しでも今の状態を悪くはしたくないため、この術式を選択するより仕方ありませんでした。

執刀は主治医のK先生では無く、外科のA先生が行ないます。K先生は「もう老眼で目が見えないから手術しないよー」なんて言っています。最近はちょっとえらくなっている(副院長だって)ので、管理職としての仕事も忙しいのかもしれません。外来と内視鏡で手一杯との事です。
A先生は私より少し若く、細身で知的な感じです。(K先生がメタボでややべらんめえなのと対照的ですが)クールな見かけと裏腹に人当たりがよく、ちゃんと患者の話を最後まで聞いてくれますし、対応も早いので安心出来ました。(K先生がお願いした事をすぐ忘れちゃうのを批判している訳ではありませんよ^^;)

手術当日、今回は全身麻酔では無く半身麻酔で行なわれます。手術台の上で背中を丸めて背骨に針を入れられて少しすると下半身の間隔が無くなります。足の指を触られて判らなくなったら手術開始です。通常の半身麻酔なら患者の意識があるまま手術が進められます。
私は安定剤も打たれていたので半分寝ていてあまり記憶が無いのですが、分娩台のように両足を広げて仰向けで手術を受けた気がします。手術自体は1時間程度で終わったと思います。

半身麻酔は後で酷い頭痛になることが多いのであまり好きではありませんが、半日過ぎれば動けるようになります。水もすぐ飲めますが、患部の温存のため食事はなかなか始まりませんでした。便が患部を汚してしまうからです。しかし、私の場合肛門が緩くてポタポタと漏れているのであまり意味が無かったような・・・。
毎朝の回診で先生(しかも副担当の医師は割と若い女医さん)たちと看護師さんに便で汚れた股間を見せるのは恥ずかしくて苦痛でした。

術後数日すると、危惧していた通りあまり状況は良くない事が判ってきました。掘った部分からも便が流れ出てくるのでこのまま再びろう管化してしまう可能性が高くなってきました。すぐ再手術というわけにも行かないので、ひとまず食事を再開し、退院して今後を検討することになりました。
括約筋温存手術は専門医でも大変難しい手術だそうです。この分野は大病院より定評ある専門医に行った方がいいのかもしれません。そのまま当初の予定通り退院になりました。

退院後、数週間するとやはり再痔ろう化してしまいました。血膿が溜まり押せばプシュッと噴出してきます。さらに「おなら」も痔ろうの方から出てくるようになりました。しかもそれが激痛を伴うのです。
既に大腸全摘出から数年経過していますが、ちっとも楽になりません。これだけ排便に苦痛を伴うのなら、自然排便は諦めて人工肛門の方が楽ではないだろうか? と考え始めるようになりました。

恐れていた痔ろうに

肛門周囲膿瘍が破裂した後、一時は順調に治っていくようでした。しばらくは出血しましたが、外側は絆創膏で事足ります。一旦完治したかのようでした。
しかし、一週間もすると肛門の横が腫れてきました。少し熱も持っています。それを少し強く押すと、ブシュッと膿と血が飛び出てきました。またやり直しです。ガーゼを当て、清潔に保ち、出血が減ってきたら絆創膏にして穴が閉じるのを待ちます。しかしまた腫れてきて・・・。
そんな事を数回繰り返すうちに完全に痔ろう化してしまいました。

痔ろうは直腸から横にトンネル(ろう管)が出来て肛門以外の場所に繋がってしまう症状です。便には細菌が一杯ですからそれが痔ろうに入り込み慢性的に炎症を引き起こします。しかも非常に痛いです。とても座って入られないほど痛む事もあります。
いつでもじくじく血や膿が漏れて来ますし、私の場合常時下痢をしているので、場合によっては便もそこから出てきます。これもまた精神的にきついです。

主治医のK先生の外来で診てもらいました。患部周辺を押して膿を搾り出します。結構出ます。その後細い棒を外側の穴から突っ込んで深さを確認します。かなり深いとの事でした。内視鏡でも診てもらいましたが、直腸の内側の方は軽い穿孔があるようでしたが、繋がっているかどうかの確認は出来ませんでした。複雑痔ろうとの診断です。私のような常時水便や下痢気味だと便が入り込んでしまうのでなりやすいそうです。
痔ろう、特に私のような複雑痔ろうは自然治癒はまずありません。薬剤での治療も効果が無いと言われています。唯一外科治療だけが効果的です。
K先生と相談の上、M病院で痔ろうの根治手術を行なうことにしました。潰瘍性大腸炎が一定の完治状態になったと思ったのもつかの間、またしても憂鬱な事態になってきました。

肛門周囲膿瘍

M病院に転院してからしばらくして、体に異変を感じました。お風呂に入っている時に気が付いたのですが、股間の左足の付け根、陰嚢の後ろ辺りにウズラの卵くらいのしこりを発見したのです。触っても特に痛くはありません。気にはなったのですが、予約診療の日はまだ先だし、様子を見て問題が出て来たら病院に行こうと思っていました。

数日後、朝起きて異常に体がだるかったのを覚えています。そして股間に違和感と痛みを感じました。触ってみるとあのしこりが鶏の卵くらいに膨らんでいました。体調は劣悪で立っていられないほどです。体温を計ったところ40度近くありました。
愕然とし、これはすぐに診てもらわなければ危ないと素人目にも判断出来ましたが、あいにく家内は仕事で外出中、体調はどんどん悪くなっているように感じましたので、家内を数時間待つことも出来ないかもしれません。救急車、と頭をよぎりましたが、今ならまだ自分で運転してM病院まで行けそうです。意を決して車に乗り込みM病院を目指しました。

股間に卵大の腫れがあるので、車のシートにちゃんと座れません。斜めに座ってなんとか病院に到着。幸いにしてK先生の外来日でしたが、予約無しなので診療は最後に回されるでしょう。多分お昼過ぎになると思われますが、2時間近く耐えなければなりません。

これまた幸いな事に、その日の予約は割と少なかったのか1時間ほど待ったところで名前を呼ばれました。もしかしたら割り込ませて貰えたのかもしれません。まだすいている頃のM病院でしたから今ではこうは行かないでしょう。
K先生は私のその腫れを一通り見て、またあちこち押してみた後(痛いよ!)「ああ、これは肛門周囲膿瘍だね」「膿がかなり溜まってるから切開手術しなきゃ」「このまま入院だね」との事。
うわあ、緊急入院かあ。何の準備もしてきて無いので取り急ぎ家内に事の次第と入院の準備を頼みます。翌日様子を見て切開する事になりました。

その晩は抗生物質を飲み、点滴をしながら病院のベッドで一夜を過ごしました。翌朝、熱も37度台になり、腫れも少し小さくなっていました。K先生が回診に来て、「あーこれなら今切らない方がいいんじゃないかな、穴開けちゃうと痔ろうになるかもしれないから」と言いました。
肛門周囲膿瘍は、直腸や肛門の内側から雑菌が入り膿が溜まります。ここで外側から切開すると、内側と穴が通じてしまい痔ろう化する恐れがあると言う訳だそうです。せっかく入院したのですが、もう一晩様子を見て翌日退院となりました。2泊3日の単に点滴しただけの入院でした。

退院日、体温は平熱まで下がりました。ちょっと不安でしたが、抗生剤で様子を見て、何かあればすぐ来るようにと言われての退院です。次の外来診療は1週間後に予約出来ました。
退院後は抗生剤が効いたのか、卵大だった腫れは半分近くまで小さくなりました。このまま小さくなって消えてくれればよかったのですが、数日後買い物に行くのに自転車に乗ったのが運の尽き、パンツとジーンズを真っ赤に汚して肛門周囲膿瘍は破裂してしまいました。

痛みも無く腫れ自体も消失したのでまだ残っている抗生剤を飲みながら次の予約日まで待ってM病院に行きました。
K先生は「あー潰れちゃった?」「まーそれはそれで、そのまま直ってくれればいいだけだから」「自転車乗ると潰れちゃうんだよねえ」とニコニコ嬉しそうに患部を見ています。私としては自転車は禁止と言われなかったので乗ったまでです。潰れた事で早く治るのはいいんですが、果たしてどうなるんでしょうか?
後日不安は的中します。

難病医療費助成の打ち切り

これを書かない訳には行きませんね。私は大腸全摘出手術を受けて、ステロイド治療他、一般的な潰瘍性大腸炎(UC)の治療から開放されたのですが、それに伴って難病医療費の助成対象からも外れてしまいました。
正確に言うと、大腸全摘出をした翌年の更新時に「軽快者」と認定され、難病医療費助成の医療券の更新が出来なくなってしまいました。

これには非常に困りました。私は大腸全摘出後の経過が思わしくなく、通常のUC患者が同じ手術を受けたような「ほぼ完治」状態でありません。2ヶ月に一度、通院し大量のロペミンを処方されますので、それだけで3割負担でも1万円ほど掛かってしまいます。検査が多い(大腸内視鏡検査やCT)場合は当然もっと掛かります。
年間十万以上は掛かっていたと思いますが、これが結構厳しかったです。東京都の担当者と何度か直接交渉したのですが、全然駄目でした。大腸全摘出を受けたUC患者は(よほど大きな合併症が無い限り)自動的に助成対象から外れる事に決まっているようです。

この数年前から(私が患者会に入っていた頃から)潰瘍性大腸炎が医療費助成対象の難病リスト(当時56疾病)から外れるのではないかという噂がありました。
何しろ私の発病時には4万人だった患者数が、この頃は10万人を突破していましたので、増え続ける医療費に業を煮やした厚生労働省が助成対象から外す候補の筆頭に上げられていたのがUCだったのです。
幸いにして、その後色々な制度改革もあり、いまだにUCは助成対象から外れていませんが、新制度でも「対象疾病は総人口の0.1%以下」という項目がありますので、既に18万人を超えているUCは今後いつ助成対象から外れてもおかしくありません。

話を本題に戻します。直接との担当者と交渉してもどうにもならなかった私は諦めるしかありませんでした。「どっちみちそろそろUCは助成から外れそうだし仕方が無い」と思うしか無いですね。ただ、今後手術など高額の医療を受けるのには困ります。(と書きつつその後私の医療券は復活するのですが、それはまた今後書きます)
なお、「軽快者」とされても、難病の登録から外れる事は無く、医療券はもらえなくなりますが、その代わりに「難病登録者証」という無期限の証明書がもらえます。ただしこれを出しても医療費は安くなりません。

転院

転院と言ってもずっと通っていたH病院に問題があった訳ではありません。H病院の経営母体が隣町に新病院を建てたのですが、主治医のK先生がそちらに移動になったのです。また主治医をO先生に戻すという事も可能でしたが、大きな手術をした身、やはり執刀医に末永く見てもらいたいと考え、遠くなる事を承知で新病院「M病院」に転院することにしました。ちなみにH病院はバス停で3つほど、自転車で通える距離ですが、M病院は車じゃないと無理です。

系列病院なので診察券(磁気カード)やカルテは共通です。何も特段することは無く、単に通う先が変わるだけです。
しかしまっさらの病院は気持ちがいいです。それに「すいてます!」。H病院の激混みは地域でも有名で、診療予約を取っていたとしても1時間以上待つのは当たりまえ。予約無しで来ようものなら3時間以上は平気で待たされます。
何しろH病院は受付のための整理券というものがあるのです。予約無しで朝一番に診て貰いたければ、早起きして朝6時から配布される整理券で良い番号を貰わねばなりません。そしてそれを持って8時半から始まる受付に行くのです。
整理券配布も受付けも長蛇の列、診察室前の待合ロビーは座るところも足りず立ってる人も・・・というのが当時のH病院でした。
なのでM病院のこのガラガラ感は新鮮ですし、ありがたい! 予約時間までに行けばちゃんとその時間に呼ばれます! 予約無しで行っても1時間も待てば診てもらえます!
普通はそうであるべきですよね。

病院というのはある程度評判が地元に浸透しないと来院患者が増えないものなのでしょうかね? 当初はほとんどH病院から移動してきた医師について来た私のような患者ばかりでした。M病院、今ではH病院以上に激混みになってしまいましたけどね。

医師の半分ほどがH病院からの移動でしたが、看護師に関しては新規に採用された人が多かった気がします。もちろんH病院から来た看護師さんも数人見かけましたが、大多数は新しい人だったと思います。それも経験者を中心に雇ったのだと考えますが、ベテラン看護師さんが多く、学校出たての若い娘が多いH病院と比べて年齢層が高めと感じました。
そのためでしょうか、系列なのに病院の雰囲気はいまだにH病院と異なります。H病院は若い娘たちがキャーキャー言いながら走り回ってる感じ(いい意味でですよもちろん!)なのに対して、M病院は落ち着いていて職員の私語もほとんど無く、淡々とプロフェッショナルに徹している感があります。少しクール過ぎて冷たい感じを受けることもあります。どちらが良いと言う事は無いですが、個人的にはH病院の方が病棟の雰囲気は好きです。最近十数年ぶりにH病院に入院しましたが、病棟の雰囲気は昔と同じでした。あの頃のキャピキャピした学校出たての看護師さんたちがみんな主任だったり師長になってたりしてびっくりでしたけど。

そんな訳でこの後十数年間、M病院とのお付き合いが始まります。

転職して自営に

2003年秋、かねてから計画していた通り、会社を辞めて自宅で作業できるような仕事を始めました。有体に言えばウェブデザインです。

ウェブデザインといっても実は色々ある訳でして、中にはなんちゃらクリエイターさんたちが作るようなアバンギャルドな最先端サイトもありますが、私がやっていたのは、奇をてらわないごく普通の小奇麗なサイトを、手離れよく作るという作業で、これはそれほど美術の素養が無くとも流行のパターンとセンスさえ磨けばそれなりに作ることが出来ます。そして多くの(あまり奇抜なものを好まない)企業はそういうサイトを望みますので、需要が一番多いのもそういったサイトです。

幸いにして、インターネットが出来る前の90年代初期からPCに触っていましたし、途中からウェブ業界への転職を考えて、勉強もしました。資格も役に立ちそうなものをいくつか取ってありました。実際に仕事を始めたのは90年代後半です。会社に秘密の副業としてでしたが、当時は今のように腐るほどウェブ屋がいるわけでは無く、サクサクとホームページを作れる人は重宝がられていた時代です。
満を持しての本業化でしたが、大きかったのは古い知人が広告代理店の会社を経営していた事です。最初はそこから仕事を貰い始め、軌道に乗り始めたら他の代理店にも売り込みに出かけてました。最盛期には5~6の代理店から常時仕事を請けていて、大手代理店経由の案件もかなりやりましたので、それなりの収入を得る事も出来ました。

私の体にとっては座り仕事は非常に楽でした。座っていることで肛門に蓋をしている事になるので、水便の漏れは最小限に防げました。自家用車で打ち合わせや営業に出かけることもありましたが、会社勤めの時とは比べ物にならないほど「お尻」は楽でした。
ただ、座り仕事はお尻周りがうっ血します。足腰も弱ります。いわゆる「悪い血が溜まってる」状態になります。これが良くなかったのかもしれません。転職数年後に思いもよらないことになって行きます。

また、一人では抱えきれないほど多くの仕事を請けていたこともあり、睡眠時間と勉強時間をあまり取れませんでした。ウェブの進歩は凄まじかったです。毎月のように新しい技術が出現し、業界の流行となります。それについていけなかった私は次第に取り残されていきました。

 

大腸の無い生活2(外出の必需品)

大腸全摘出手術後は、手術前のように下痢や下血を大量に漏らすようなことはなくなりましたが、ポタポタと水便(消化液)が漏れて来るので、数時間以上の外出にはそれなりの備えが必要でした。

紙おむつ
通常のパンツではズボンまで汚れてしまうので、紙おむつ(リハビリパンツ)は必需品です。当時から介護用として様々な製品が売り出されていました。漏れの量自体はそれほどたいしたことは無いので、薄手で外から装着しているのが判りにくい製品が望ましいですね。
常時はいて出かけるものとは別に、替えを2枚持っていました。お尻がひりひりしてきたら交換のサインです。

生理用ナプキン
もちろん女性用です。丸一日出かけている場合は、少し汚れただけで紙パンツを交換するのは不経済なので、お尻の所に生理用ナプキンを敷いてそれを何度か交換していました。ギャザーや羽が付いているものでも、お尻の場合は女性器とは違って横漏れしやすいので、その場合は紙パンツを交換します。
自分で買うのは抵抗があるので、いつも家内に買ってもらっていました。

タオル
何かと必要です。障害者用トイレが使える場合はそこで汚れたお尻や股を水で拭いたり、少しズボンや衣類が汚れてしまったら、簡易的に染み抜きしたり。これも常時2枚持っていました。

リンデロンVG軟膏
お尻や股が消化液で荒れてしまった時に塗ります。色々先生と相談していくつか試しましたが、これが一番効きます。ただし、ステロイド軟膏なので、あまり長期に頻繁に使うとその部分の皮膚が薄くなったり、黒ずんできたりしますので注意を。
ここぞという時にこれを塗り、普段はワセリンで痛んだ皮膚を保護するという使い方がいいと思います。

白色ワセリン
というわけでワセリンも。チューブタイプが使いやすいです。これは軟膏のベースになっている素材なので、薬剤が入っていませんし無味無臭、皮膚への刺激もありません。というかそういう香料などの入っていないワセリンを選んで下さい。
これは私が常用していた製品。

携帯用ウォシュレット
外に出ると洗浄便座のあるトイレに常時入れるとは限りません。公園のトイレに入る場合もあります。そのために携帯用のウォシュレットは必需品でした。
ウォシュレットはTOTOの製品名ですね。携帯用お尻洗浄器とでも言った方がいいでしょうか? 当時(今でもかな?)TOTOと松下電工(現パナソニック)で出していましたが、私はちょっぴり安い松下電工製のハンディー・トワレを使っていました。
下の写真がそのものですが、永久ストマとなった今ではほとんど出番が無く仕舞い込んだままです。これは今は新型になっているようです。

ハンディ・トワレ
半透明の部分に水を入れて使います。
ハンディ・トワレ
畳むとコンパクトになります。

 

 

 

 

 

これらを常時持って行ってました。外出時には結構な荷物になりますね。

人気のTOTO製と新型になったパナソニック製

半年後の復職

退院してから4ヶ月、手術のために入院した日からだと実に半年間会社を休んでいました。まあちゃんと長期休職を認めてくれた会社には感謝です。
しかし、あまり休んでもいられません。健保から傷病手当は出ますが、本来の給料に比べたら大分減ってしまいますので、子供を二人抱えた家族の生活のためにも出来るだけ早く復職をしなければならなかったのです。

4ヶ月の間、便の状態はそれほど変わりませんでした。ですので、漏れを覚悟し無ければなりません。また、自宅にいるようにはトイレに行けませんので、紙おむつは必須です。
この4ヶ月で私の体重は減りに減り、手術前は75kgあったのが55kgまで減ってしまいました。もちろん見た目も痩せて変わってしまいましたので、会社の上司たちには心配されて結構色々大目に見てもらえたのは幸いです。体重が減った原因はもちろん大腸を切ったことで栄養の吸収力が減ってしまったためですが、主治医にはこれはいずれ徐々に改善されると聞いていました。実際手術2年後には60kg台に回復しています。

同僚たちも大分痩せた事を心配していましたが、陰では「あいつはもう長くない」などと言ってる奴もいたようです(苦笑。中には面と向かって「鍛えてないからそんな訳のわからん病気にかかるんだ」などと言う人(こういう人は大抵年配者)もいたりで、まったく病気を知らない人は困ったものです。

幸いにして自家用車通勤のできる職場だったため、通勤の苦痛はありませんでした。これがラッシュの中、電車やバス通勤だったとしたらとても無理だったと思います。座っていればそれだけで漏れはある程度抑えられますから。立ったり歩いたりするとポタポタと漏れて来るのです。

しかしそんな生活が長く続かない事も復帰後しばらくするとある程度判ってきました。白血球除去をしたあたりから、病気と付き合いながら出来るだけ無理をせずに自宅で働ける方法を探ってきたのです。その準備もそろそろ整いつつありました。
復職後10ヶ月ほど続けましたが、会社に辞表を出しました。実はその1年ほど前、自宅療養中から既に始めていたのですが、軌道に乗りかけていたのでウェブ系の仕事を自宅で行う事にしました。

大腸の無い生活始まる

退院後、最初に行なったのは「如何に快適に生活できるか」のための準備です。当分は自宅療養になりますが、徐々に社会に復帰できる状況を作っていかねばなりません。

退院当日、温水洗浄便座(いわゆるウォシュレット)を家内に頼んで近所のコジマから購入しました。お尻からの腸液漏れは、今後の生活クオリティを左右する重要な問題なので、排便後にお尻を洗える環境は必須でした。しかし当時の我が家は賃貸で、洗浄便座が付いていませんでした。
既に洗浄便座はかなり普及が進んでいて、簡単に取り付け/取り外し出来るものが普及価格帯であったので、それを(確か当時3万円くらい)購入。早速自分で取り付けてみたのですが、割とDIYは得意な筈だったのですが、水道管の配管が上手く行かず、トイレを水浸しに!急遽クラ○アンを呼んで直してもらい、洗浄便座の取り付けと併せて1万5千円かかりました。これなら最初から工事付きで買ってきた方が安かったです。
使ってみてこれが有ると無いとでは別世界だと感じました。一度使い始めるとこれが無いトイレには入れません。もちろんお尻の汚れの緩和の目的もあるので、無い場合はその都度風呂場でシャワーを使って下半身を洗う必要があるでしょう。それほどお知りから漏れる刺激性の消化液は強力でした。

その消化液は常時ポタポタと漏れてきますから、通常のパンツだけではびしょびしょに汚してしまうだけです。どんなものがいいかと色々試しました。女性用ナプキンはこの時期ではまだ容量不足で受け止め切れませんでした。介護用の尿漏れパッドは容量的には良かったのですが、横漏れを何度か起こしたのでひとまず却下。やはりパンツタイプの紙おむつの出番になってしまいました。
しかし、紙おむつに消化液が付くと今度はそこに触れている皮膚が荒れてきてしまいました。これに関しては結局解決には至らず、お尻の痛みと共に今となっては思い出したくない記憶です。

寝ている時に便漏れで布団を汚す心配もあるわけです。そのために布団には防水シートを敷く必要があるでしょう。通販で3千円程度で購入できます。今ではアマゾンでも入手可能です。
これ私が買ってるやつ。

水便を少しでも硬くするために、ロペミンという下痢止め剤を一日3錠飲んでいました。このロペミンは非常に強力で、普通の人が飲む場合は一錠で十分以上の薬です。2錠も飲んだら強固な便秘で腸が詰まってしまいかねない薬なので、3錠も処方されている私は薬局で大抵驚かれて根掘り葉掘り聞かれます。
しかしそのロペミン3錠をもってしても、私のお尻からは消化液がジャージャーと出てきました。

自宅療養中といえど、こもりきりでは入院中と同じくどんどん体力が失われていきます。そのために散歩したり、自転車に乗ったりしてましたが、歩いているとお尻からポタポタと消化液が漏れてきて、歩く事で皮膚がすれてどんどんひりひりと痛くなってきます。これが嫌で出不精になってきます。
この頃は少々手術をしたことを後悔する事もありました。しかし、ステロイド(プレドニン)はもう服用する必要はありませんし、下血も今後無いのです。いつでも下痢しているようなものですが、突然の下痢におびえる必要も無くなりました。
精神的なものはこの頃から徐々に改善してきたと思います。

不安の中の退院

潰瘍性大腸炎の大腸全摘出第二期手術が終わって約二週間。抜糸も終わり、それでは退院と言う運びになりました。
いまだ肛門からの水便の漏れは続いていますし、そのためにお尻の皮膚は荒れて酷い状態です。それでも抜歯が終わってしまえばそれらも単なる経過観察に過ぎず、軟膏を渡しておけば治療行為はほとんど無くなりますから、入院している意味も無くなってしまうのです。

執刀医で現在の主治医であるK先生によれば、「今後時間と共に小腸及びJパウチ部分での水分吸収能力は上がっていくと思うので、数ヶ月経てば現在より大分状態は良くなり漏れも減ってくるでしょう」との事。
人間の消化器官で水分吸収を受け持つのは大腸です。そのために大腸を全摘出した人は、胃と小腸で分泌した大量の消化液(1日3リットルと言われます)がそのまま排出されます。が、人間の体は良く出来ているので、大腸が無くなってしまうと自然に小腸後半部がその代わりをするようになってきます。特にJパウチ部分のように便を貯めて置く袋を作っておけば、水分吸収時間も長くなり、通常の便とだんだん近くなって行くというわけです。

本来は第二期手術の前にもう少し便の水分量が減るまで待つべきだったと思います。しかし、私の仕事のスケジュールの都合もありますし、私自身が2ヶ月での退院を主張したので仕方ありません。何度も口をすっぱくして言いますが、手術を選択したら決して後戻りできません。摘出してしまった大腸が元通りになることは決してありません。自分の選択を受け入れるしかないのです。

7月退院して仕事は12月頃まで自宅療養のため休むと会社に伝えて了承を貰っていました。その間に何とかなればいいのですが。
その日出勤していた看護師さんたちがみんな入れ替わり立ち代りベッドまで来て励ましてくれました。消化器フロアの看護師は4チームに分かれているのですが、2ヶ月以上も居れば担当チームじゃなくても全員顔馴染みです。
7月の中旬、暑い暑いよく晴れた日の退院でした。

二期手術を終えて

大腸全摘出手術のスケジュールも終盤に差し掛かっています。既に2回の手術を終えました。二期手術の術後経過は順調です。ただひとつを除いては。

それ以外は非常に良好な経過でした。手術翌日には歩き始めました。腸管を傷つけているので、水分はまたしてもお預けが長かったのですが、2回目という事もありそれほど辛く感じませんでした。水分再開、食事再開すると体力もめきめき回復しましたのであっという間に点滴も取れたのですが食事再開と共に問題が発生しました。

それはお尻からの「漏れ」です。元から危惧されていたことですが、自分で判断して選択した事なので仕方ありません。外科治療、特に手術は行なってしまったら後戻りが効かないという事が大前提です。これから手術を検討される方は是非「後戻りが効かない」事を最重要事項として自分にとってベストな選択をして下さい。もしかしたら、あと数年待ったら、切らなくて済むような治療法が見つかるかもしれません。完治を望めるような新薬が完成するかもしれません。こんな大変な思いをしなくて済むような治療法が出てくるかもしれません。(逆に言えば何年待ってもステロイドと再燃増悪に苦しむだけでそんなものは出てこない、という可能性もあるのです)

さて「漏れ」ですが、大きい固形物は括約筋で我慢できそうです。しかし、腸液の水分は容赦なくポタポタと漏れて来ます。どうも肛門が完全にぴったりと閉じてなく、ほんの少し隙間があるような気がします。(実際は閉じてるのですが、感覚としてそんな気持ちになっていました)
これでは紙おむつは必須になってしまいます。まあオムツ生活は別にいいのですが、この漏れて来る腸液が、皮膚に対する刺激性が非常に高く、あっという間に肛門周辺の皮膚がただれてしまいました。これは常時ひりひりと痛むので結構辛いです。酷い時は椅子に座るのも辛いほどです。

私がこれまでの経験者やネットなどで聞いた話だと、手術後しばらくすると水便は収まり、通常の生活が出来、たまに睡眠中にコロコロとした便が漏れる~くらいだったのにえらい違いです。この手術の結果には、体質やちょっとした違いによりかなり個人差があると思われます。

再手術して再度一時ストマを造設する方法もあるようです。しかし括約筋を鍛える事と、時間が経って便の水分量が減る事で徐々に改善するとK先生は言いましたし、私としても自分から言い出したことなので、ここで引くわけには行きません。それに再手術なんてもう御免です。手術にはもう散々苦しみましたから。
ですので、経過に期待することにしてこのまま手術の経過を見て退院することを選択しました。

これは今となったから言える事ですが、二期手術を半年後に延期したとしても結果は大して違いなかったと思います。私の便の水分量が減ってきたのは、最初の手術から数年経ってからであり、それも調子の良いときだけで、実際のところいまだにほとんど水分だけの便も多いのです。しかもこの数年後、私は肛門機能をほぼ失う事になるので、どうにもならなかったというのが本質です。

ですので、そもそも私に大腸全摘出は向いていなかったと言えるのですが、これも手術した後に判る事で、しかも先ほど書いたように手術した後は後戻りが出来ないのです。私はこれを受け入れるしかありません。

今、大腸全摘出手術を検討している方には今回のブログエントリーは非常にショッキングな内容かもしれませんが、これは極めて稀な私の個人的な体質や事情に起因する事で、私が話をした体験者は皆さん「うまく行っている」と仰っていた事を記しておきます。ただこういった稀なケースもあることは覚えておいて下さい。手術を選択するもしないも最終的には自己責任です。

大腸全摘出手術(第二期手術)

大腸全摘出の第二期手術は、一時人工肛門を閉じるだけなので、比較的軽度な手術です。大腸の摘出や大腸の代わりとなるべきJパウチの造設は既に一期手術で出来上がっています。この一期手術の患者への負担が大き過ぎるために手術を三期に分けて行なうこともあります。
「軽度な手術」とは言え、全身麻酔の開腹手術なので、それなりに危険も大きいです。麻酔事故や院内感染など考えられる不測の事態は色々あります。

2回目だと慣れたもので、夜もぐっすり寝られ準備万端。安定剤も使わず、手術室へも点滴棒をガラガラ引きずりながら自分の足で向かいます。(もちろん看護師さんも付いてきてくれますよ)
手術室に入ったところで患者の受け渡し、「おねがいしまーす」と病棟看護師はここで帰って手術担当看護師に引き継がれます。「それではこちらへ」と案内されて「このベッドに横になってください」と自分の足で手術台に上がります。

この後は第一期と同じです。横向きで背中を丸めさせられて背中に麻酔のチューブを入れられ、仰向けになったら色々計測器のセンサーが取り付けられ、口にマスクを付けられて3回深呼吸・・・はい落ちた。

同じようにほっぺたを叩かれて名前を呼ばれて起こされたら手術終了です。二期手術は2時間程度ですぐ終わったと記憶しています。術後の気分は一期目と比べると全然良いです。意識が戻ってくるのも早いですし、全然動けなかった一期目に比べて身体も楽です。一期目の辛さは何しろ11時間以上掛かった手術時間=麻酔時間がかなり影響していたと思います。

楽だとはいっても自分で歩いて病棟に帰るわけでは無く、ストレッチャーで前回と同じくナースステーション横の回復室に入れられます。今回は結構元気でペラペラ術後も家族や看護師さんと話していましたが、麻酔の影響でハイになっていたのかもしれません。
しばらくするとまた熱が出始めました。前回と同じように悪寒が出ました。よく映画やドラマで出血して死ぬ人が「寒い寒い」と言って死んでいきますが、あれはこれなのだろうと思います。出血して血が足りないと寒くなるのは手術も同じです。

熱が出た以外は今回は問題もなく、熱もその夜のうちに下がりました。お腹の痛みも鎮痛剤が効いているのでほとんどありません。中をそれほどいじっていないので、一期目のような腹部の違和感や鈍痛もありませんでした。
翌日は前回と同じ若い看護師さんが同じように下半身を洗浄してくれました。今回も余計な反応無しでほっとしました。
昼頃には自分の病棟に戻ります。今回は何の大きな問題もなく、楽勝な手術でした。術後翌日には立ち上がることが出来ました。
しかし、その後「楽勝」などと言っていられない辛さが始まるとはこの時は思いませんでした。