転職して自営に

2003年秋、かねてから計画していた通り、会社を辞めて自宅で作業できるような仕事を始めました。有体に言えばウェブデザインです。

ウェブデザインといっても実は色々ある訳でして、中にはなんちゃらクリエイターさんたちが作るようなアバンギャルドな最先端サイトもありますが、私がやっていたのは、奇をてらわないごく普通の小奇麗なサイトを、手離れよく作るという作業で、これはそれほど美術の素養が無くとも流行のパターンとセンスさえ磨けばそれなりに作ることが出来ます。そして多くの(あまり奇抜なものを好まない)企業はそういうサイトを望みますので、需要が一番多いのもそういったサイトです。

幸いにして、インターネットが出来る前の90年代初期からPCに触っていましたし、途中からウェブ業界への転職を考えて、勉強もしました。資格も役に立ちそうなものをいくつか取ってありました。実際に仕事を始めたのは90年代後半です。会社に秘密の副業としてでしたが、当時は今のように腐るほどウェブ屋がいるわけでは無く、サクサクとホームページを作れる人は重宝がられていた時代です。
満を持しての本業化でしたが、大きかったのは古い知人が広告代理店の会社を経営していた事です。最初はそこから仕事を貰い始め、軌道に乗り始めたら他の代理店にも売り込みに出かけてました。最盛期には5~6の代理店から常時仕事を請けていて、大手代理店経由の案件もかなりやりましたので、それなりの収入を得る事も出来ました。

私の体にとっては座り仕事は非常に楽でした。座っていることで肛門に蓋をしている事になるので、水便の漏れは最小限に防げました。自家用車で打ち合わせや営業に出かけることもありましたが、会社勤めの時とは比べ物にならないほど「お尻」は楽でした。
ただ、座り仕事はお尻周りがうっ血します。足腰も弱ります。いわゆる「悪い血が溜まってる」状態になります。これが良くなかったのかもしれません。転職数年後に思いもよらないことになって行きます。

また、一人では抱えきれないほど多くの仕事を請けていたこともあり、睡眠時間と勉強時間をあまり取れませんでした。ウェブの進歩は凄まじかったです。毎月のように新しい技術が出現し、業界の流行となります。それについていけなかった私は次第に取り残されていきました。

 

投稿者: ibdlife

潰瘍性大腸炎を20代で発病しましたが、既に私も50代。思えば長々とこの病気と付き合ってきたものです。まあ大病しても人生どうにかなるものです。絶望したらそこで終わり、気楽に生きましょう。 人工肛門ですが、旅行好きです。一人でどこへでも行けます。飛行機に乗って海外にも行けますよ!

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