14年ぶりにH病院へ入院(その1)

K先生の転院以降ずっとM病院に通っていたのですが、今回の手術で家内に付けられた条件が、自宅に近くて通いやすいH病院での手術でした。K先生に相談したところ、「系列病院だし、カルテも共通だし問題無い」との事。私としては信頼しているK先生(既に副院長にご出世されてます)の管理下で手術をしたかったのですが、家内の条件を飲まないと手術承諾書にサインしない(本人と保証人[家族]のサインが必要です)と言うので仕方ありません。

H病院に入院するのは大腸全摘出手術以来ですから14年ぶりです。途中泌尿器科の外来で数度来た事がありましたが、建物はそのままにせよ大分違って見えました。
何より空いています。私が通っていた頃は、人人、また人で混みあっていて、予約外来でも1時間以上待つのがざらでした。さらに会計でも1時間近く待つので辟易していました。「いつまで待たせるんだ!」と怒り出してる患者さんも多かったです。
それが、平日午前中9時頃(多くの病院で一番混む時間帯)なのにガラガラなのです。紹介状を持って消化器科外来に行っても待合所の椅子は半分も埋まっていません。しかも予約でもないのに30分ほどで名前を呼ばれました。

これというのもあまりの混雑を解消するためにH病院では紹介状が無いと受診できなくなったのです。その代りに病院向かいに新たに初診専用のクリニックを建てて、紹介無しの初診患者はそちらで診る事になったのです。もちろんクリニックで「入院必要あり」と判断された場合は本院のH病院に入院できます。
私の通っていた当時から、混雑解消に「軽症患者はできるだけ近所の開業医(かかりつけ医)に移って下さい、紹介状書きます」とやっていたのですが、埒が明かずにこういったシステムに変更したのでしょう。効果はてきめんで、これなら今通っているM病院の方が混んでいます。M病院も今では地域の中核病院として、かなり遠くからも患者がやってきているので、ずいぶんと混むようになったのです。
※ここまで書いちゃうと地元の人ならどこだか判っちゃいますね。まあ別に個人名以外は伏字にすることも無いんですが、悪いことも書くので一応マナーとしてイニシャルにしてます。

看護師さんたちのスタイルも変わりました。昔は白衣で看護師さんが自分で好きなものを着てよかったと聞いたのですが、今はお揃いのえんじ色のプルトップの制服です。米国の病院のようだと言うとイメージが判ってもらえると思います。
しかしそれ以外は昔のままのH病院でした。いくらか増築もあってレイアウトが変わりましたが、受付や案内のお姉さん、看護師さんたちから受ける雰囲気は昔のままで、懐かしい「ホームに帰ってきた」感があります。

さて、M病院のK先生から行くようにと指定されたのは、40代で今が医師としての円熟期に見える消化器外科のKb先生です。これも紛らわしいイニシャルだなあ(笑。というかK先生とKb先生は2文字目の子音まで同じなので仕方ないです。
Kb先生は非常に人当たりのいい穏やかな先生です。患者の話を最後まで聞いてくれて、それから話し始めるのは非常にいいですね。信頼が置けそうな気がしました。ざっとした話しの後にお腹を見てそれからお尻を見てくれました。お尻は漏便の消化液でただれているので、「あーこれはお辛いでしょう」と同情的。「もう一度詳細なCT検査をしてそれから決めましょう」となりました。M病院でも3月にCTをやっていますが、造影剤を使わない簡略なものだったために、手術前に造影剤を使ってストマから肛門までを重点的に確認したいとの事でした。翌日にCT検査をしてその後もう一度Kb先生の外来に今度は予約で行きます。なかなかすぐに手術とは行きません。

1週間後の外来、Kb先生はCTの映像を見て「これは思っているより大変な手術になりますよ」と言いました。まず、私は全く気づいていませんでしたが、腹膜から腸が飛び出てヘルニアになっていました。そのため腸閉塞の可能性もあったそうです。ちょうど正中(お腹の真ん中、縫った後の場所)の皮膚直下に腸が癒着しているため、かなり時間をかけて慎重な作業が必要になるそうです。また、数度の開腹手術を経ているため、癒着がどの程度か判らず、状況によっては腸が短くなり「短腸症候群」になってしまう可能性も指摘されました。短腸症候群になると今以上に水分の吸収が阻害されますし、栄養も吸収が悪くなるので、今よりQOLが悪化する可能性もあるとの事でした。
私としてはそんな大事の手術になるとは思っていませんでした。前回の2孔の一時ストマ造設手術が比較的簡単にサクサクと終わったので、それをちょっと手直しする程度のものだと思っていましたが大間違い。K先生もそんなに大変だとは言ってなかったじゃないかあ。

しかし、そういった負のリスクをちゃんと患者に説明するのも医師の務めなのです。どんな手術にもリスクゼロはありません。特に開腹手術の場合は、最悪死に至るリスクも結構あるのです。私はリスクを知った上で「それでも手術して欲しい」と言いました。Kb先生も「簡単な手術にはならないかもしれないけれど、最善を尽くします」との事で私の手術が決まりました。
最初のKb先生の受診日が4月下旬、5月には手術を受けたかったのですが、Kb先生のスケジュールの都合もあり、入院日は6月上旬、入院期間は2週間の予定で決まりました。

なお、CTで前立腺に腫れが見つかったので、入院前に泌尿器科を受診しなければいけなくなりました。私は30歳代に尿道狭窄の手術をして以降、小便の出が悪いのでこの手術が終わったら腰をすえて泌尿器も治そうと思っていたのですが、先にそちらに取り掛かることになりました。やれやれ。

予言?

約一ヶ月に渡り、発病前からの闘病記を書いてきましたが、やっと実時間と近くなってきました。いよいよ年は2016年を迎えます。

2孔ストマを作って7年程が経ちました。もうストマは生活の一部となりました。あたりまえのように、6日に1度パウチを張り替え、ストマケアを行なっています。
この体でも(押されてパウチが潰れる事を避けるため)ラッシュ時間を避ければ電車通勤も出来ますし、友人と都心でお酒を(軽く)飲んで、電車で帰る事も出来るようになりました。一人で日本中旅をすることも出来ました。海外も3回行きました。ジャカルタ、台湾、ハワイ、長距離の飛行機でもパウチ管理さえ正しく行なえれば何の問題も有りません。
この10年ほどでオストメイトの環境は驚くほど良くなりました。高速のSA/PAのほとんどにはオストメイト用トイレが付いています。主要空港も同様です。大きなショッピングモールやデパートでもオストメイト用トイレを導入する所が増えてきました。
ストマの扱いにも十分慣れました。このまま便漏れを抱えながらでも多分生きていけるでしょう。しかし、しかしなのです。どうしても便が漏れるのが嫌なのです。毎年のように家内には相談しましたが、「今じゃなくてもいいじゃない」「もう少し待って」と言われてきました。しかし私自身がもう精神的に限界を感じてきました。

そして2016年、私はどうであろうと今年手術をすると決断しました。家内も渋々ですが同意してくれました。私の一存だけでも手術は可能ですが、入院した場合家族の協力は不可欠です。やはり家内の同意は私にとって必須でした。
K先生に相談して今春に手術を行なうことが決定したのです。

家内は「絶対に上手く行かない気がする。このまま寝たきりになる気がする。」と不吉な事を言います。しかしあいつの言う事は結構当たるのです。何事も慎重に進める事が肝心です。

永久人口肛門への憧れ

数年前(というか2012年)、ウェブ業界に限界を感じた私はその業界を離れて、別業種の会社を興すことになりました。たった一人の株式会社です。今は1円ででも株式会社作れますからね。業種は航空関係のIT系ビジネスといったところです。ほとんどはPCの前での作業ですが、取材のために飛行機に乗って各地を周る事もあります。

その頃からやっと人並みに動けるようになって来ました。それまでは体力自体がなかなか回復してこなかったこと(ずっと自宅での座り仕事なので当然ですが)、2002年の手術後から続く低血圧(上は100無い事が多いです)による立ち眩み。80くらいだと目の前が真っ白になって倒れそうになります。そして、歩き出すと肛門が開いて漏便してしまう事により歩くこと自体が不快な事が原因で、外を歩くという事が苦手になってしまい、それを避けるようになっていたのです。
それが、大腸全摘出から10年が経ってやっと便がそれなりに硬くなった事が大きいと思いますが(ただしいまだに水便はありますし、硬いといっても泥状便の範疇です)、歩いての漏便が多少楽になってきたのです。

会社事務所を都心部のレンタルオフィスに置いたので、手術後初めて定期を買って電車通勤を始めました。もちろん「社長(爆笑)」なのでラッシュ時に通勤する事はありません。十分に朝のラッシュが終わってから昼前に出社です(笑。
これによって徐々に歩く事に慣れてきました。ストマのパンク等はこの頃には気にしなくともよくなっていましたし、パンクしたとしても十分対処できるようになっていました。歩き始めれば体力も回復してきます。血圧値はそれほど変わりませんでしたが立ち眩みもずいぶんと良くなって来ました。

電車だけでは無く、飛行機にも乗れるようになりました。最初は上空でパンクしたらどうしようと不安でしたが、いざ乗ってみればそれは杞憂でした。暴飲暴食して飛行機に乗るのはお勧めしませんが、乗る前に飲食を控えれば高空でガスが溜まってパンクというのも防げます。また飛行機代も障害者なので多少安いです(国内便だけですが)。
旅先でホテルにも泊まりました。さすがにシーツを汚すのが怖いので、紙パンツを履いて寝ていました。空港の周りを10キロ以上一人で歩いた事もあります。さすがに便漏れでお尻がデロデロにただれてしまいました。

こうなると私の敵はひとつだけ、「便漏れ」です。それさえ無くなれば普通に生活できます。ストマ管理さえしっかり出来ればズボンを汚す心配もなくなります。お尻の痛みともおさらばです。紙パンツとも縁が切れるでしょう。もし潰瘍性大腸炎が指定難病から外されて医療券を切られたとしてもダメージは少ないです。
もう肛門機能による便漏れの改善の見込みは無いと思われます。2ヶ月ごとに訪れるK先生の外来日に切々と訴えていましたが、とうとうK先生も諦めて「永久人口肛門にして、お尻は塞ぐしかないね」と言いました。そもそも前回の手術から私は永久人口肛門にしたかったのです。

これでほとんどの堀は埋まりました。後は家内の説得だけなのですが、家内はもう一度だけ手術を受けたいという私の希望に頑強に反対していました。
全身麻酔による開腹手術は、ずいぶんと安全になったとは言え現在でも一定のリスクをはらんでいます。麻酔事故の可能性もありますし、手術自体上手くいくとは限らないのです。QOL向上のために手術したとしても逆にそれを下げてしまう可能性もあります。
家内はそういったことに恐怖を感じているようでした。どうもこれまで比較的順調に手術が終わったけれども、次の手術こそ失敗して死んでしまうか寝たきりになってしまうのではないか?と考えているようでした。「今、以前に比べたらずいぶんと良くなって普通に動けているじゃない、今手術する必要は無いんじゃないの?」と言われてしまうと私もそうかなあと考え込んでしまいます。確かにリスクはあるのですから。
しかし、便漏れで痛むお尻のびらんに軟膏をすり込むたびに、永久人口肛門への憧れは強くなっていったのです。

障害者手帳と障害年金の申請

2孔ストマの便漏れと戦いながら数年が過ぎました。陥没はさらに進み、便量の1割くらいは肛門から漏れているのではないかと思います。水便がダラダラお尻を汚す事もしばしばですし、Jパウチで水分の抜けた硬い便がなかなか出ずに浣腸で流し出す事もありました。切開の後遺症で括約筋が弱り、我慢する事も便を押し出す事も出来なくなっているのです。
幸いにして痔ろうはその後完治し再発もありません。この点では満足していますが、肛門機能をほぼ失ってしまったのでもうストマを閉鎖する事は無理でしょう。一生ストマ生活を続けねばなりません。ストマ自体は2孔ですが、実質永久ストマと変わりなくなってしまいました。しかもお尻の便漏れ付きです。

このために主治医のK先生と相談して障害者手帳を取得する事にしました。
これは要件さえ満たしていれば比較的簡単です。指定医(大抵の総合病院なら大丈夫)に診断書を書いてもらい、自治体に申請すれば通ります。一ヶ月ほどで手帳を貰えます。要件を満たしていればですが。問題は年金の方です。

人口肛門だと国民年金では障害年金は出ませんが、厚生年金は出ます。この点多少調べたのですが、私の場合ストマ造設が会社を辞めて個人事業を始めた後だったので、ずっと出ないものだと思い込んでいました。
ところがある時ネットで調べ物をしている時に偶然見つけた情報で発見したのです。実はストマ造設時が重要では無く、ストマが必要になる「元になった病気の初診日」こそが重要だったのです。つまりストマ造設時に厚生年金を辞めていたとしても、元の病気の初診日に厚生年金に加入していれば障害年金は出るのです。私の場合、潰瘍性大腸炎として確定診断を受けた日こそがその日なのです。

真偽を確かめに管轄の年金事務所に行きました。はい、間違いないです。ただし、手続きは結構大変でしかも審査を受けて承認されなければなりません。ネットの情報を見るとこの審査はかなり厳しく、条件を満たしていても落ちるケースもあるようです。
山ほど書類を用意しなければなりません。問題になったのが初診病院の証明書です。その年月日に初診があった証明をしてもらわねばなりません。確定診断を受けたH病院に行って相談しましたが、既に20年近く前の事になり、しかもその後電子カルテ化などの大きな変化があったこともあり、カルテ情報が残ってないと言うのです。法的なカルテの保存期間は5年なので、それ以前の事については病院に保管義務は無いのです。しかし、H病院は調査してみると言う事でこの件は一旦保留になりました。門前払いにはなりませんでしたが、病院の書類が無いと無理かもしれません。

次は自分で書く申請書類ですが、これまでの経過を詳しく書かねばなりません。実はここで落とされるケースがよくあるそうです。出来るだけ経過を詳しく、また今の状態を正確に(ただし「如何に現在の自分に年金の助けが必要かどうか」も含めて)書く必要があります。何度か下書きをしてぎっしり詰め込むように細かく書き込みました。

現状の診断書も必要です。これは障害者手帳のように指定医はありません。ストマの執刀医に書いてもらう必要があります。私の場合A先生です。こちらもある程度先生に嘘にならない範囲で障害を強調するなど言い含めておく必要がありそうです。私の場合2孔の一時ストマであっても既に肛門機能の問題で戻せないという事を強調してもらう必要があるのです。普通の一時ストマは支給要件を満たしません。

その他、戸籍謄本等自分で必要な書類を揃えてH病院の結果を待ちました。
2週間ほど経ち、H病院から「用意できる」との連絡を貰いました。通院の情報が残っていたのと確定診断をしたO先生がまだ在籍しているので、書いて下さったそうです。
さあ書類は揃いました。年金事務所に書類を提出します。審査には2~3ヶ月掛かります。私は全て自分で行ないましたが、あまりに用意するものが多く、また書くのも大変なため、社労士に依頼する事もできます。私は社労士に依頼するという発想自体が無かったため自分で行ないましたが(笑。

その後、なかなか来なくてハラハラしましたが、無事認定され受給が始まりました。額としては年間80万円に満たず、これだけで生活していくのは無理ですが、外で働き難いオストメイトにとってはありがたいお金です。
なお、障害年金はストマを作ってから数年後に申請しましたが、それを遡ってお金が出ることはありません。あくまで申請後から受給が始まります。また、障害者手帳も障害年金も更新手続きがあります。難病医療券ほど面倒な手続きではありませんが、受給要件を満たさなくなれば切られてしまいますのでご注意を。

痔ろう手術その後と便漏れとの戦い

ともあれ二度目の手術を経て私の複雑痔ろうは全快しました。拳が入るほど切開された私の肛門が見た目上元に戻るには3ヶ月以上掛かりました。しかし括約筋ごとバッサリと切った私の肛門が以前のように閉じる事は無くなりました。

あまりに傷がむき出しのため、お風呂に入るのが怖かったのですが、いざ入ってしまえばそれほど気に病む事はありませんでした。出血が止まって肉が盛り上がってくれば、本来の皮膚とそれほど変わらず、そこから雑菌が入ることも無いでしょう。むしろ、清潔にしない方が感染症の危険が高まります。ただ、便漏れもあって、私のお風呂に入る順番は家族の一番最後です。湯船を必ず汚してしまいますから。

痔ろうが無くなったことにより肛門の痛みや化膿による炎症から開放されたので、気分は楽になりましたが、2孔ストマの陥没状況は徐々に進んでいき、それとともに肛門への便漏れ量も増えていきました。
痔ろう手術前は固形物の漏れは括約筋で防ぐ事ができたのですが、手術後はまったく力が入らず、ほぼ垂れ流し状態になってしまいました。パウチに一度入ったものも水便だと横になった際に吸い込んで肛門に流れ出てしまう場合もありました。
全体の便の量からすると1割にも満たないのですが、必ず便が漏れて来るので対処が必要です。最初は女性用生理ナプキンを当てていましたが、泥状便や固形便を受け止めきれないので、外出時は大腸全摘出前のように紙おむつ(リハビリパンツ)常用になってしまいました。
また、就寝中も便漏れが起こりますので、いつも私の肛門から尾骨周りは汚れています。それが段々とびらんになってしまい、かなり痛むようになりました。

Jパウチでの肛門排出による便漏れに加えて人口肛門の手間や装具のトラブルなどの可能性も加わって、せっかく手術を繰り返して苦労したのに二重苦の状態になってしまいました。この点では「何でいつも上手く行かないのかなあ?」と 運命を呪うしかありません。
しかし、割とこの後私は吹っ切れて、自宅にこもりがちだったのが段々外出の機会が増えていきます。既に大腸全摘出から5年以上経ち、便も大分水分のコントロールが効くようになってきました。外出する時は朝から飲食を制限すれば便漏れも最小限に出来ますし、いざ外で飲食して便漏れが発生しても紙パンツを履いているので臭い以外はどうにかなります。

外出時にパウチがパンクする事もありました。最初は大変な思いを何度かしましたが、これも慣れが段々解決していきます。パンクのパターンも段々読めてきて、旅行に行く場合はいつパウチを交換すればいいのか、食事はどのように取れば被害を最小限に防げるかが判ってきます。また何を常備しておけばいいかも。
一度自家用車で東京から名古屋まで仕事で行く機会がありました。名古屋の手前のSAで休憩している時にパウチが漏れ出しました。最近の高速SAは障害者用トイレがありますのでそこで交換したのですが、上手く付かなかったのかすぐまた漏れ出しました。しかし替えのパウチは既に使ってしまい手持ちは無し。止む終えず一日目の予定をキャンセルし東京の自宅へ戻り、入浴とパウチ交換、そして替えのパウチを数枚持って再び名古屋へと、一日千キロ以上走破した事もあります。こういった経験を繰り返して段々オストメイトとして鍛えられていきます。
最初は自家用車での外出オンリーでしたが、段々電車やバス、そして飛行機まで使えるようになって来ました。
その辺の色々なハウツーやエピソードはいずれまとめて書きたいと思います。

こんな感じの日常がこの後数年続いていきます。

痔ろう根治手術(二回目)

陥没ストマのために多少便漏れが肛門からあるのが気がかりですが、スケジュールに従って二度目の痔ろう根治手術を受けることにしました。今回はM病院では無く、K先生に紹介された隣県にあるT肛門病院です。私の住んでる地域の私鉄駅のホームには大抵この病院の看板がありますので、地域では結構有名な病院だと思います。痔ろう手術は経験の豊富な専門医が望ましいのであれば、一回目の手術もこういう医療機関を勧めてくれればよかったのにとも思いました。

自宅から鉄道で行くと2回乗換えでかなり遠回りですが、自家用車ならほぼ一本道で30分程度で着きます。早速紹介状を持って受診しに行きました。
古い建物の外来は独特の感じで、診察室のドアが5つほど並んでいます。もちろん全て肛門科ですが、患者はその前に一列に並び、自分の名前が呼ばれたドアに入っていきます。中に入ったらすぐに診察室ですが、5つほどに分れた診察室は中では繋がっており、パーティションで区切られているだけなので隣の診察の会話がもろ聞こえなのはちょっと困りますね。すぐにズボンとパンツを下げて診察用ベッドに横向きに寝かされます。
まあ大体のことは紹介状に書いてある訳なので、ちょっと患部を見たらもうズボンを上げて椅子に移動し、「いつ手術が良いですか」となります。

決まった事は、今回は再発の可能性が高い「括約筋温存手術」では無く「開放法」で行う事になりました。私の場合かなり深い複雑痔ろうなので括約筋をバッサリ切ってしまうと、術後の回復が長期にわたる事に加えて、肛門機能に(便漏れなどの)後遺症が残る可能性もあるのですが、既に人口肛門化していると言う事で、一度の手術で完治が見込める開放法の方が望ましいと言う事になりました。
開放法は以前行なった「括約筋温存手術」とは違い、本当にバッサリ肛門と痔ろう部分を切り開いてしまうので、肉が再びくっつくのに数ヶ月を要しますが、患部は全く残らないので再発の可能性はほとんどないというのがメリットです。局部麻酔で行い、入院期間は1週間です。

早速入院して手術。手術自体はものの10分くらいで終わります。外来も手術もまるでベルトコンベアーに乗せられたように次から次へと行なわれるのは肛門専門病院の特徴なのでしょうか? 手術後執刀医がカメラで患部を撮って、それをその場で見せてくれるのですが、哀れ私の肛門は拳が入るほどぱっくりと割れて広がってしまいました。結構ショッキングな写真でした。

術後は痛み止めを飲みながら患部に当てているガーゼを頻繁に取り替えていきます。やはり少しストマから肛門への便漏れが少しあり、切った後が便で汚れるのが気になります。しかも古いこの病院のトイレは昔の学校のトイレレベルで、ウォシュレットも無いどころか和式なのです。なので患部をいつでも清潔に保つ事ができません。これには困りましたが携帯ウォシュレットを使ってどうにか凌ぎました。

食事は腸管を切ったわけでは無いのですぐ始まります。病院食としてはH,M病院とは雲泥の差で、かなりおいしい部類だと思いました。
退屈な入院生活でしたが、ちょうど近くに自衛隊基地があり(知ってる人にはどこの病院かすぐ判りそうですが)、飛行機好きの私としては着陸態勢の自衛隊機を毎日見ることができて楽しかったです。

長期の入院を何度も繰り返している私にとっては、あっという間に退院です。と言っても患部はまだぱっくりと開いたままです。帰りにガーゼを買って行き、自宅で患部のケアをしていかねばなりません。
患部に漏れてくる便が沁みますが、あれだけ大きく切開した割にはそれほど痛みはありません。自宅に帰って初めて大きな鏡でまじまじと患部を見ましたが、気の弱い人なら結構ショックなほど大きく切開されています。果たして元通りになるんでしょうか? 私としてはこのまま一生人口肛門の方が楽だと既に腹の内は決まっていましたが。

陥没ストマ?

ストマと言うのは手術後2ヶ月ほど立たないと落ち着きません。切ってすぐは水様便で刺激性が高く、徐々にそれが治まってきます。また、術後すぐは腸管を切ったばかりなので全体的に腫れているのでストマも大きいのです。そこから徐々に傷の癒えとともにストマは縮んでくるのです。形が定まるには2ヶ月程度かかります(その後も加齢と共に少しずつ変化していきます)。ストマの装具(パウチ)のサイズも徐々に替えていく必要があります。

私の今回作った一時ストマですが、術後すぐの状態で皮膚より5ミリほどの高さしかありませんでした。2002年にK先生に作ってもらった時は、本当にお腹に大きな梅干がくっついているようなものだったのですが、今回はお腹に直接穴が開いているような状態です。
それが一ヶ月もすると陥没してきました。ストマごとお腹の中に入ってしまった感じです。

陥没ストマの例
陥没ストマの例

陥没ストマでもちゃんと機能さえしてくれれば別に問題無いのですが、困った事に流れ出てきた便が一部パウチに排出されずにそのまま肛門方向に流れ出てしまうようになりました。2穴ある一時ストマだからこそ起こった問題です。
(※1穴しかない永久ストマなら陥没していようがしまいが、単に便が出てくるだけですのでこの問題は起こりません)
これは痔ろう手術を控えている事を抜きにしても問題です。便漏れから開放されたいがために人口肛門にしたかったのに、それも止まらずさらには人口肛門の苦労も伴ってしまうのです。

しかしひとまず目前に迫った痔ろう手術を終わらせなければなりません。痔ろうさえ治れば多少は楽になるでしょうか。

一時人口肛門造設手術

スケジュール的に、先に一時ストーマの造設、その2ヵ月後くらいに痔ろう根治手術という事になります。ストマの方はいつものM病院、執刀は痔ろう手術と同じA先生に決まりました。入院期間は2週間の予定です。

入院すると、翌日の手術の説明をA先生から受けてから、いつものように腸管洗浄剤でお腹の中を空っぽにします。ちなみにM病院はニフレックでは無くマグコロールを使ってます。水溶性の強力下剤(ラキソベロンだったかな?)をコップ1杯の水に溶かして飲んでから、マグコロールを1リットル飲みます。
これはニフレックに比べるとずいぶんと楽です。多分ニフレックは30回以上、マグコロールは数回使っていますが、マグコロールの方が飲むのは楽ですね。

お腹が空っぽになっら翌日の手術まで点滴しながら絶食です。点滴していると不思議と空腹感は無いです。看護師さんに訊いても特にそういった成分は入ってないとの事なんですけどね。
また、いつも前日夜に「眠れなかったら眠剤を出します」と言われるのですが、これも貰った事はありません。メンタルが鈍感なだけかもしれませんが、手術前夜に朝まで眠れなかったと言う事は有りません。

手術当日になりました。今回もてくてく自分の足で歩いて手術室に入ります。もう全身麻酔の開腹手術も3回目なので慣れたものです。
手順もいつもと変わらず、手術台に横になり、裸にされたら横向きに背中を丸めて脊髄に管を入れてもらい、仰向けになったら心電図センサーや血圧センサー等を取り付けられ、麻酔のマスクを付けて深呼吸を「1.2、3・・・」
「ibdlifeさ~ん、わかりますかぁ~?おわりましたよぉ~!」ほっぺたを叩かれて終了です。
2時間ほどでさっくりと終わった手術でした。

2002年の大腸全摘出の時に作った一時ストマは右脇腹だったのですが、今回は左になりました。本当はあまり腹を穴の痕だらけにしたくなかったので、最初のマーキングは右にしてもらったのですが、入院前日についうっかり熱い飲み物を腹にこぼしてしまい、軽いやけどを予定位置に作ってしまったため、じゃあ左と言う事になりました。結果的に左で良かったと思っています。左右どちらも経験しましたが、右利きの私としては左にあった方が使い勝手がいい感じがします。

手術時間が短かった事もあり、体力の消耗はほとんど無く術後の経過は良好、あっという間に傷はくっつき食事も始まって何の問題も起こりませんでした。ストマの担当として男性看護師が付いてくれて、当初の張り替えや今後のストマの選定など色々相談に乗ってくれました。
その結果、抜糸もあっという間に終わり、予定より早く術後10日で退院となりました。

すべてが順調に終わったように見えた今回の手術ですが、ただ一点気になることが・・・。ストマの高さがずいぶんと低いんですよねえ・・・。

難病医療費助成の再申請

痔ろうをどうするかに関しては数ヶ月K先生と話し合いました。痛みと不快感はあるもののすぐに処置をしなければならない訳ではありませんし。
私は現在のように便漏れが一生続くようであれば、永久人口肛門も厭わない覚悟でした。あの大腸全摘出手術の折の2ヶ月のストマ生活は、大変ではありましたが十数年排便で苦労してきた身には、排便を気にしなくていいという何物にも代えがたいような爽快さがありましたし、ましてやこの便漏れが続く限り痔ろうは何度も再発するでしょう。それに対してK先生は永久人口肛門には大反対でした。
せっかく11時間もの大手術に耐えて繋げた肛門を、まだ若いのにそんなに簡単に諦めていいのか、人口肛門の生活というのはそれほど容易いものではない、必ず後悔があるだろう。というのがK先生の主張です。

それでも痔ろうをそのままに放って置くわけには行かず、K先生と私とで妥協的な方針がまとまってきました。
手術はM病院では無く、ベテラン専門医のいる肛門科病院で行なう(K先生が紹介状を書いてくれる)。それに先立ちM病院で一時人口肛門造設手術を行なう。痔ろうが完治した上で今後、ストマを戻すかどうかは決める。という方向です。
何しろ痔ろう治療が排便を止めないとまた一回目の手術のように失敗しかねません。排便を一時的にストップするには一時ストマが最適ですし、私もストマ生活に希望を持っているので、妥協案としては満足できるものです。
しかし、私としては再び肛門に繋げたとしても、この水便が現在より改善する見込みが無いことも予想していましたし、再び肛門周囲膿瘍を起こして痔ろう化という可能性も高いと考えていました。それならここで永久人口肛門にすれば何度も腹を開けるような大きな手術をしなくて済むと言う心残りがありました。

もうひとつ、痔ろう手術に向けての課題がありました。数年前に軽快者として適用外になった難病医療費助成の再申請です。以前大腸全摘出済みのUC患者は、ほぼ自動的に軽快者に分類されて助成を切られると書きました。ただし、大きな合併症が無い限りです。その大きな合併症が今の状態で、再び人口肛門にしようとしているのですから、再申請の大きなチャンスだと考えました。しかし、可能性は半々ではないかと思っていました。
助成を切られていても、難病登録者のままなので再申請は新規より多少はハードルが低いと聞いています。新規申請と同じように大量の書類が必要ですが、特に現状の診断書(専用の書式があります)はK先生と内容について相談し、出来るだけこの悪化している状況を詳しく書いて欲しいと頼みました。

結果的に目出度く再申請は承認され、再び医療券を手にすることが出来ました。
再申請のメリットは、申請数ヵ月後に承認されたとしても、助成は悪化が始まった時点に遡って出ることです。ですので手術後に適用が始まったとしても、手術費用は助成対象になります。
しかし今回は、ストマ手術に間に合いました。合併症として痔ろう手術も助成対象になったと思います。これで準備は整いました。再び人口肛門との付き合いが、今度は長期に始まります。

痔ろう根治手術(一回目)

そんな訳で、複雑痔ろうの根治手術を行なうためにM病院に入院しました。術式は「括約筋温存手術(くりぬき法)」、入院期間は10日ほどの予定です。くりぬき法とは痔ろうのトンネル(ろう管)を拡張してくりぬき、肉が盛り上がって穴を塞げば完治という手法です。括約筋を切らないので、肛門機能には影響が無いとの事ですが、再発率も高く何度か繰り返す場合もあるようです。
私の場合、そもそも肛門機能が怪しいので、少しでも今の状態を悪くはしたくないため、この術式を選択するより仕方ありませんでした。

執刀は主治医のK先生では無く、外科のA先生が行ないます。K先生は「もう老眼で目が見えないから手術しないよー」なんて言っています。最近はちょっとえらくなっている(副院長だって)ので、管理職としての仕事も忙しいのかもしれません。外来と内視鏡で手一杯との事です。
A先生は私より少し若く、細身で知的な感じです。(K先生がメタボでややべらんめえなのと対照的ですが)クールな見かけと裏腹に人当たりがよく、ちゃんと患者の話を最後まで聞いてくれますし、対応も早いので安心出来ました。(K先生がお願いした事をすぐ忘れちゃうのを批判している訳ではありませんよ^^;)

手術当日、今回は全身麻酔では無く半身麻酔で行なわれます。手術台の上で背中を丸めて背骨に針を入れられて少しすると下半身の間隔が無くなります。足の指を触られて判らなくなったら手術開始です。通常の半身麻酔なら患者の意識があるまま手術が進められます。
私は安定剤も打たれていたので半分寝ていてあまり記憶が無いのですが、分娩台のように両足を広げて仰向けで手術を受けた気がします。手術自体は1時間程度で終わったと思います。

半身麻酔は後で酷い頭痛になることが多いのであまり好きではありませんが、半日過ぎれば動けるようになります。水もすぐ飲めますが、患部の温存のため食事はなかなか始まりませんでした。便が患部を汚してしまうからです。しかし、私の場合肛門が緩くてポタポタと漏れているのであまり意味が無かったような・・・。
毎朝の回診で先生(しかも副担当の医師は割と若い女医さん)たちと看護師さんに便で汚れた股間を見せるのは恥ずかしくて苦痛でした。

術後数日すると、危惧していた通りあまり状況は良くない事が判ってきました。掘った部分からも便が流れ出てくるのでこのまま再びろう管化してしまう可能性が高くなってきました。すぐ再手術というわけにも行かないので、ひとまず食事を再開し、退院して今後を検討することになりました。
括約筋温存手術は専門医でも大変難しい手術だそうです。この分野は大病院より定評ある専門医に行った方がいいのかもしれません。そのまま当初の予定通り退院になりました。

退院後、数週間するとやはり再痔ろう化してしまいました。血膿が溜まり押せばプシュッと噴出してきます。さらに「おなら」も痔ろうの方から出てくるようになりました。しかもそれが激痛を伴うのです。
既に大腸全摘出から数年経過していますが、ちっとも楽になりません。これだけ排便に苦痛を伴うのなら、自然排便は諦めて人工肛門の方が楽ではないだろうか? と考え始めるようになりました。

恐れていた痔ろうに

肛門周囲膿瘍が破裂した後、一時は順調に治っていくようでした。しばらくは出血しましたが、外側は絆創膏で事足ります。一旦完治したかのようでした。
しかし、一週間もすると肛門の横が腫れてきました。少し熱も持っています。それを少し強く押すと、ブシュッと膿と血が飛び出てきました。またやり直しです。ガーゼを当て、清潔に保ち、出血が減ってきたら絆創膏にして穴が閉じるのを待ちます。しかしまた腫れてきて・・・。
そんな事を数回繰り返すうちに完全に痔ろう化してしまいました。

痔ろうは直腸から横にトンネル(ろう管)が出来て肛門以外の場所に繋がってしまう症状です。便には細菌が一杯ですからそれが痔ろうに入り込み慢性的に炎症を引き起こします。しかも非常に痛いです。とても座って入られないほど痛む事もあります。
いつでもじくじく血や膿が漏れて来ますし、私の場合常時下痢をしているので、場合によっては便もそこから出てきます。これもまた精神的にきついです。

主治医のK先生の外来で診てもらいました。患部周辺を押して膿を搾り出します。結構出ます。その後細い棒を外側の穴から突っ込んで深さを確認します。かなり深いとの事でした。内視鏡でも診てもらいましたが、直腸の内側の方は軽い穿孔があるようでしたが、繋がっているかどうかの確認は出来ませんでした。複雑痔ろうとの診断です。私のような常時水便や下痢気味だと便が入り込んでしまうのでなりやすいそうです。
痔ろう、特に私のような複雑痔ろうは自然治癒はまずありません。薬剤での治療も効果が無いと言われています。唯一外科治療だけが効果的です。
K先生と相談の上、M病院で痔ろうの根治手術を行なうことにしました。潰瘍性大腸炎が一定の完治状態になったと思ったのもつかの間、またしても憂鬱な事態になってきました。

肛門周囲膿瘍

M病院に転院してからしばらくして、体に異変を感じました。お風呂に入っている時に気が付いたのですが、股間の左足の付け根、陰嚢の後ろ辺りにウズラの卵くらいのしこりを発見したのです。触っても特に痛くはありません。気にはなったのですが、予約診療の日はまだ先だし、様子を見て問題が出て来たら病院に行こうと思っていました。

数日後、朝起きて異常に体がだるかったのを覚えています。そして股間に違和感と痛みを感じました。触ってみるとあのしこりが鶏の卵くらいに膨らんでいました。体調は劣悪で立っていられないほどです。体温を計ったところ40度近くありました。
愕然とし、これはすぐに診てもらわなければ危ないと素人目にも判断出来ましたが、あいにく家内は仕事で外出中、体調はどんどん悪くなっているように感じましたので、家内を数時間待つことも出来ないかもしれません。救急車、と頭をよぎりましたが、今ならまだ自分で運転してM病院まで行けそうです。意を決して車に乗り込みM病院を目指しました。

股間に卵大の腫れがあるので、車のシートにちゃんと座れません。斜めに座ってなんとか病院に到着。幸いにしてK先生の外来日でしたが、予約無しなので診療は最後に回されるでしょう。多分お昼過ぎになると思われますが、2時間近く耐えなければなりません。

これまた幸いな事に、その日の予約は割と少なかったのか1時間ほど待ったところで名前を呼ばれました。もしかしたら割り込ませて貰えたのかもしれません。まだすいている頃のM病院でしたから今ではこうは行かないでしょう。
K先生は私のその腫れを一通り見て、またあちこち押してみた後(痛いよ!)「ああ、これは肛門周囲膿瘍だね」「膿がかなり溜まってるから切開手術しなきゃ」「このまま入院だね」との事。
うわあ、緊急入院かあ。何の準備もしてきて無いので取り急ぎ家内に事の次第と入院の準備を頼みます。翌日様子を見て切開する事になりました。

その晩は抗生物質を飲み、点滴をしながら病院のベッドで一夜を過ごしました。翌朝、熱も37度台になり、腫れも少し小さくなっていました。K先生が回診に来て、「あーこれなら今切らない方がいいんじゃないかな、穴開けちゃうと痔ろうになるかもしれないから」と言いました。
肛門周囲膿瘍は、直腸や肛門の内側から雑菌が入り膿が溜まります。ここで外側から切開すると、内側と穴が通じてしまい痔ろう化する恐れがあると言う訳だそうです。せっかく入院したのですが、もう一晩様子を見て翌日退院となりました。2泊3日の単に点滴しただけの入院でした。

退院日、体温は平熱まで下がりました。ちょっと不安でしたが、抗生剤で様子を見て、何かあればすぐ来るようにと言われての退院です。次の外来診療は1週間後に予約出来ました。
退院後は抗生剤が効いたのか、卵大だった腫れは半分近くまで小さくなりました。このまま小さくなって消えてくれればよかったのですが、数日後買い物に行くのに自転車に乗ったのが運の尽き、パンツとジーンズを真っ赤に汚して肛門周囲膿瘍は破裂してしまいました。

痛みも無く腫れ自体も消失したのでまだ残っている抗生剤を飲みながら次の予約日まで待ってM病院に行きました。
K先生は「あー潰れちゃった?」「まーそれはそれで、そのまま直ってくれればいいだけだから」「自転車乗ると潰れちゃうんだよねえ」とニコニコ嬉しそうに患部を見ています。私としては自転車は禁止と言われなかったので乗ったまでです。潰れた事で早く治るのはいいんですが、果たしてどうなるんでしょうか?
後日不安は的中します。

難病医療費助成の打ち切り

これを書かない訳には行きませんね。私は大腸全摘出手術を受けて、ステロイド治療他、一般的な潰瘍性大腸炎(UC)の治療から開放されたのですが、それに伴って難病医療費の助成対象からも外れてしまいました。
正確に言うと、大腸全摘出をした翌年の更新時に「軽快者」と認定され、難病医療費助成の医療券の更新が出来なくなってしまいました。

これには非常に困りました。私は大腸全摘出後の経過が思わしくなく、通常のUC患者が同じ手術を受けたような「ほぼ完治」状態でありません。2ヶ月に一度、通院し大量のロペミンを処方されますので、それだけで3割負担でも1万円ほど掛かってしまいます。検査が多い(大腸内視鏡検査やCT)場合は当然もっと掛かります。
年間十万以上は掛かっていたと思いますが、これが結構厳しかったです。東京都の担当者と何度か直接交渉したのですが、全然駄目でした。大腸全摘出を受けたUC患者は(よほど大きな合併症が無い限り)自動的に助成対象から外れる事に決まっているようです。

この数年前から(私が患者会に入っていた頃から)潰瘍性大腸炎が医療費助成対象の難病リスト(当時56疾病)から外れるのではないかという噂がありました。
何しろ私の発病時には4万人だった患者数が、この頃は10万人を突破していましたので、増え続ける医療費に業を煮やした厚生労働省が助成対象から外す候補の筆頭に上げられていたのがUCだったのです。
幸いにして、その後色々な制度改革もあり、いまだにUCは助成対象から外れていませんが、新制度でも「対象疾病は総人口の0.1%以下」という項目がありますので、既に18万人を超えているUCは今後いつ助成対象から外れてもおかしくありません。

話を本題に戻します。直接との担当者と交渉してもどうにもならなかった私は諦めるしかありませんでした。「どっちみちそろそろUCは助成から外れそうだし仕方が無い」と思うしか無いですね。ただ、今後手術など高額の医療を受けるのには困ります。(と書きつつその後私の医療券は復活するのですが、それはまた今後書きます)
なお、「軽快者」とされても、難病の登録から外れる事は無く、医療券はもらえなくなりますが、その代わりに「難病登録者証」という無期限の証明書がもらえます。ただしこれを出しても医療費は安くなりません。

転院

転院と言ってもずっと通っていたH病院に問題があった訳ではありません。H病院の経営母体が隣町に新病院を建てたのですが、主治医のK先生がそちらに移動になったのです。また主治医をO先生に戻すという事も可能でしたが、大きな手術をした身、やはり執刀医に末永く見てもらいたいと考え、遠くなる事を承知で新病院「M病院」に転院することにしました。ちなみにH病院はバス停で3つほど、自転車で通える距離ですが、M病院は車じゃないと無理です。

系列病院なので診察券(磁気カード)やカルテは共通です。何も特段することは無く、単に通う先が変わるだけです。
しかしまっさらの病院は気持ちがいいです。それに「すいてます!」。H病院の激混みは地域でも有名で、診療予約を取っていたとしても1時間以上待つのは当たりまえ。予約無しで来ようものなら3時間以上は平気で待たされます。
何しろH病院は受付のための整理券というものがあるのです。予約無しで朝一番に診て貰いたければ、早起きして朝6時から配布される整理券で良い番号を貰わねばなりません。そしてそれを持って8時半から始まる受付に行くのです。
整理券配布も受付けも長蛇の列、診察室前の待合ロビーは座るところも足りず立ってる人も・・・というのが当時のH病院でした。
なのでM病院のこのガラガラ感は新鮮ですし、ありがたい! 予約時間までに行けばちゃんとその時間に呼ばれます! 予約無しで行っても1時間も待てば診てもらえます!
普通はそうであるべきですよね。

病院というのはある程度評判が地元に浸透しないと来院患者が増えないものなのでしょうかね? 当初はほとんどH病院から移動してきた医師について来た私のような患者ばかりでした。M病院、今ではH病院以上に激混みになってしまいましたけどね。

医師の半分ほどがH病院からの移動でしたが、看護師に関しては新規に採用された人が多かった気がします。もちろんH病院から来た看護師さんも数人見かけましたが、大多数は新しい人だったと思います。それも経験者を中心に雇ったのだと考えますが、ベテラン看護師さんが多く、学校出たての若い娘が多いH病院と比べて年齢層が高めと感じました。
そのためでしょうか、系列なのに病院の雰囲気はいまだにH病院と異なります。H病院は若い娘たちがキャーキャー言いながら走り回ってる感じ(いい意味でですよもちろん!)なのに対して、M病院は落ち着いていて職員の私語もほとんど無く、淡々とプロフェッショナルに徹している感があります。少しクール過ぎて冷たい感じを受けることもあります。どちらが良いと言う事は無いですが、個人的にはH病院の方が病棟の雰囲気は好きです。最近十数年ぶりにH病院に入院しましたが、病棟の雰囲気は昔と同じでした。あの頃のキャピキャピした学校出たての看護師さんたちがみんな主任だったり師長になってたりしてびっくりでしたけど。

そんな訳でこの後十数年間、M病院とのお付き合いが始まります。

転職して自営に

2003年秋、かねてから計画していた通り、会社を辞めて自宅で作業できるような仕事を始めました。有体に言えばウェブデザインです。

ウェブデザインといっても実は色々ある訳でして、中にはなんちゃらクリエイターさんたちが作るようなアバンギャルドな最先端サイトもありますが、私がやっていたのは、奇をてらわないごく普通の小奇麗なサイトを、手離れよく作るという作業で、これはそれほど美術の素養が無くとも流行のパターンとセンスさえ磨けばそれなりに作ることが出来ます。そして多くの(あまり奇抜なものを好まない)企業はそういうサイトを望みますので、需要が一番多いのもそういったサイトです。

幸いにして、インターネットが出来る前の90年代初期からPCに触っていましたし、途中からウェブ業界への転職を考えて、勉強もしました。資格も役に立ちそうなものをいくつか取ってありました。実際に仕事を始めたのは90年代後半です。会社に秘密の副業としてでしたが、当時は今のように腐るほどウェブ屋がいるわけでは無く、サクサクとホームページを作れる人は重宝がられていた時代です。
満を持しての本業化でしたが、大きかったのは古い知人が広告代理店の会社を経営していた事です。最初はそこから仕事を貰い始め、軌道に乗り始めたら他の代理店にも売り込みに出かけてました。最盛期には5~6の代理店から常時仕事を請けていて、大手代理店経由の案件もかなりやりましたので、それなりの収入を得る事も出来ました。

私の体にとっては座り仕事は非常に楽でした。座っていることで肛門に蓋をしている事になるので、水便の漏れは最小限に防げました。自家用車で打ち合わせや営業に出かけることもありましたが、会社勤めの時とは比べ物にならないほど「お尻」は楽でした。
ただ、座り仕事はお尻周りがうっ血します。足腰も弱ります。いわゆる「悪い血が溜まってる」状態になります。これが良くなかったのかもしれません。転職数年後に思いもよらないことになって行きます。

また、一人では抱えきれないほど多くの仕事を請けていたこともあり、睡眠時間と勉強時間をあまり取れませんでした。ウェブの進歩は凄まじかったです。毎月のように新しい技術が出現し、業界の流行となります。それについていけなかった私は次第に取り残されていきました。