回復への道のりは遥か遠い

病棟に戻るとすぐに回復へのプログラムが始まります。病室ベッドに帰ったその午後からリハビリ(理学療法士)のI先生がやってきます。体を起こすのは全然問題無かったのですが、いざ立とうとすると立ち眩みします。血圧を測ると70台しかありません。仕方なく歩行は諦めて足首とふくらはぎの筋肉を動かして血流を高める運動をします。ふくらはぎはポンプの役目をして血液を送り出しますので第2の心臓とも呼ばれるそうです。多分翌日は歩けるでしょう。前回よりずいぶんと気分はいいです。

食事は当分お預けになりました。パンク回避というのもありますが、くっつかずに剥がれているストマを、自然治癒させながら正常な形に戻すと言う、上手く行くかどうか判らない手段を取るため、出来るだけストマに負担をかけないための処置です。ストマから何も出ないのが理想的なのですが、何も食事をしなくとも消化液は出てきますし、腸粘膜の新陳代謝によってカスのような便も出てくるのです。でも、食事をしなければ便がポケットに溜まって肉芽の盛り上がりを邪魔することも少ないでしょう。
手術前の週からずっと首に中心静脈へのパイプが入りっぱなしなので、それを使ってまた高カロリー輸液の注入を再開します。水分は問題無いのでエレンタールも再開です。

ストマの修復はUナースが色々な事例や文献を調べて対策を練って下さいました。まず、私のストマの状態のおさらいです。
縫合してある筈の糸が全て外れてしまい(溶けた?)腸管のほぼ一周にかけて大きな(深さ3cmくらいの)ポケットが出来てしまっています。これだけならその内自然治癒で埋まる可能性があるのですが、その最深部に横穴があり、そこから便が漏れてポケットに溜まるのです。このために正常な状態で肉芽が盛り上がりポケットが塞がるか判りません。便が邪魔になり最終的に歪なストマになってしまう可能性があります。また、便の通り道が残ってしまうとそこが瘻孔化してしまい、痔ろうと同じように慢性的な炎症を起こしてしまいかねません。
もちろん現在のこの状態では、普通の状態でストマパウチを取り付けることが出来ません。剥がれたポケット部分よりも大きな穴を持つ大型サイズのパウチを使用して現在取り付けていますが(手術室にUナースが入って取り付けてくれました)、パウチ穴の縁が常時ポケットから出てくる便で汚れるので、粘着部分の持ちが非常に悪く、1日持てば良い方でしょう。このままでは社会復帰も望めません。

剥がれたストマ(イメージ)
剥がれたストマ(イメージ)

Uナースが「ストマ修復」に使ったのは「イソジンシュガー」と「アルジサイト銀(看護師は皆AG[エージー]と呼んでました)」のシートです。

イソジンシュガー
イソジンシュガー

イソジンシュガーは床ずれの治療に多く用いられている軟膏で、「創傷治癒作用と殺菌作用を示し、肉芽増殖を促す」とのことです。見た目はハーゲンダッツサイズのアイスクリームカップ状の容器に入った味噌にしか見えません。これの正体は70%が「砂糖」です。名前の通り砂糖とイソジンで出来てます。まだ持ってますが、うかつに蓋を開けて乾燥させてしまうとジャリジャリになってしまいます。

アルジサイト銀
アルジサイト銀

もうひとつの秘密兵器はアルジサイト銀のシートです。看護師達は皆これを「エージー(AG)」と呼んでいるようです。中には柔らかい厚紙のようなシートが入っています。これの効能も抗菌しながら創傷治癒の促進なので、イソジンシュガーとほぼ同じ目的に使われます。こちらは余計な滲出液を吸収する機能があるので、私のストマに出来たポケット内の水分を吸収して、瘻孔化を防ぐ目的があります。

Uナースの作戦は、まずイソジンシュガーでストマの周りのポケットを埋めてしまいます。そして横穴の空いている部分にAGを小さく切って差し込んでおきます。これで瘻孔化や炎症を防ぎながら肉芽の盛り上がりを促進し横穴を埋めてしまおうという目論見です。
これをストマパウチ交換時とパウチ交換しない日はストマ周りを洗浄してやはり同じことを行ないます。ですのでこの作戦中のパウチは2ピースが必須です。

Uナースの作戦イメージ
Uナースの作戦イメージ

果たしてこれが上手く行くかどうか?Uナースもある程度の裏づけはあるとは言えそれほど確信はないようです。Uナースとしても初めての試みですし、すなわち病院としても初めての治療法なのです。ですが手術はもう無理なので今あるストマを直して使い続けねばなりません。この作戦が上手く行く事を信じて続けるしかありません。
この段階では退院の予定日はまだありません。ストマが修復されない限り家庭での維持管理は無理なので病院から出られません。Kb先生からは「2週間(当初手術の入院予定期間)では無理。それが何週間になるか今の段階では答えられない」と言われています。道はまだまだ遥か先まで続いていて出口は全く見えません。

投稿者: ibdlife

潰瘍性大腸炎を20代で発病しましたが、既に私も50代。思えば長々とこの病気と付き合ってきたものです。まあ大病しても人生どうにかなるものです。絶望したらそこで終わり、気楽に生きましょう。 人工肛門ですが、旅行好きです。一人でどこへでも行けます。飛行機に乗って海外にも行けますよ!

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