第二期手術へ向けて

術後3週間くらいになると、ほぼ手術痕も治り、ストマの扱いにも慣れてきます。そろそろ第二期手術のスケジュールも決めて欲しいものですが、排便状態は相変わらずのジャバジャバな水便。刺激性も強くストマ接着面から漏れた腸液での皮膚のびらんもあり、そこに便が触れると痛みを感じます。
主治医のK先生(内科治療の内はO先生が主治医でしたが、手術で外科治療のスキームに入ったので、主治医は執刀医のK先生になりました)は、「一旦退院して半年後くらいに第二期手術を受けてはどうか?」と提案してきました。
私は会社に治療計画として、「二ヶ月入院で二期手術まで行なって退院、その後四ヶ月の自宅療養の後に会社復帰」と提出していたので、当初のスケジュールで行なって欲しいと言いました。

実のところ、これほど水便が続くとは私もK先生も予想外だったようで、このまま一時ストマを閉じて肛門に繋げても、排便がコントロール出来ず生活に苦労するのではないかと言う危惧でK先生はスケジュール変更を提案したのです。
しかし、二期手術を行なえば、約30cm腸が長く使えることと、一番水分吸収が期待できるJパウチ(小腸の端を折り曲げて袋状に加工した大腸と直腸に替わる部分)を便が通るために、今よりもずっと便の水分は減るのではないかと言う期待もありました。
何度かK先生と話し合い、当初の予定通り7月に第二期手術を行なって再び便を肛門から排出することが決まりました。

第二期手術をするに当たって、いくつか課題も出されました。体力が非常に落ちているので、それを回復させること。もうひとつは多少柔らかい便でも漏れないように、肛門の括約筋を鍛えておく事です。

体力に関しては、一週間もベッドで寝たきりになると、人間の筋力はかなり落ちてしまいます。少し動くと息切れするでしょう。それが大手術をして一ヶ月以上の入院をしているのですから大変です。特に当時の私はお腹の中を相当切っている上にそれが治りかけているものですから、腹の中にバネが入っているような感じで背筋を伸ばして立つ事が困難でした。K先生にも「そんなに背中を丸めていたら背骨が曲がっちゃうよ」と言われていました。
ですので手術が決まった翌日から、今までに増して歩き始めました。特に効果的だったのが階段の上り下りです。5階病棟なので1階と往復するのがベストですが、最初の内はワンフロア移動もままなりません。筋力も足りず心肺能力も足りず、階段を登る事ができません。まずは1階降りてまた戻る事から始め、二期手術前にはどうにか1階~5階を登れるようになりました。

問題だったのが肛門括約筋です。広い障害者トイレに注腸セットを置いて、ストマの肛門側の穴にぬるい温水を流し込んでそれを我慢します。すぐに肛門から出てしまったらNG。それを看護師立会いの下で行ないます。複数の看護師さんの前で下半身裸になって行なうので普通なら恥ずかしいのですが、もう既に手術後何十回となく担当看護師さんたちには見られてますので、慣れきって全然平気になってしまいました。若い看護師さんとも軽口を言えるほど皆仲良かったし、むしろ変に恥ずかしがる方が後から恥ずかしくなるでしょう。でもいくら看護師さんと仲良くなってもエロネタは厳禁ですよ、一発で総スカンされますからね。
で、そのストマ注腸ですが、何度やってもジャーとすぐにお尻から出てきてしまいます。「頑張ってー」と看護師さんたちに励まされるのですが、なかなか上手く出来ません。もちろん肛門周辺に大分メスが入っているので括約筋の締まりが悪いのです。しかし何とかしないと二期手術が出来ません。毎日30分ほどやってましたが、一週間ほど経ってやっと1分ほど止められるようになりました。まあ止められると言っても一気に出ないだけでポタポタとは漏れるんですけどね。でまたこれが後々響いて来るわけです。

兎にも角にもひとまず二期手術の準備が整いました。日韓ワールドカップの決勝も病室のテレビで観て、さあ第二期手術です。

投稿者: ibdlife

潰瘍性大腸炎を20代で発病しましたが、既に私も50代。思えば長々とこの病気と付き合ってきたものです。まあ大病しても人生どうにかなるものです。絶望したらそこで終わり、気楽に生きましょう。 人工肛門ですが、旅行好きです。一人でどこへでも行けます。飛行機に乗って海外にも行けますよ!

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