転居

本格的な発病後1年くらい、私が30歳を迎える頃、それまでは23区内に住んでいましたが、2人目の子供ができた事もあり多摩地区のかなりマイナーな都市に転居しました。
当時バブルのさなか、弾ける一歩手前くらいだったのですが、とても23区内では予算が合わず、狭山丘陵に程近い田舎、別の言い方をすれば子供を育てるには最適(笑)の小都市なのですが、一応東京都です(苦笑)。越した当初は宅配ピザ屋もレンタルビデオも無い様など田舎でしたのでどうなる事やらと内心不安でした。まあそんな事は本題とは関係無いのでどうでもいいですね。幸いにしてすぐにピザ屋もツタヤも出来ましたし、大きなスーパーマーケットも近所に建ち、発展著しくなり格段に済みやすくなりました。

病状は数ヶ月全く下血も無く、(もちろん突発的な下痢と便秘を繰り返すのは続いていましたが)自身では健康になったと思っていました。
しかし、そんなある日再び下痢の後に泥状の赤黒い便が、今度はかなり大量に出てきました。ちょっと気が遠くなるような気分でした。

以前の病院はずいぶんと遠くなってしまったので通うには面倒です。新居は小都市とは言え立派な総合病院がありました。H病院です。
H病院はそれまで「入ったら二度と出て来れない」などと噂の立つような老人病院だったそうですが、当時経営が変わり最新の設備を備える総合病院に生まれ変わろうとしているところでした。建物も6階建ての立派なビルに生まれ変わったところで、一部残るトタン屋根の貧相な旧館と対照的で、相当に力を入れているのが判りました。

紹介状も無い全くの初診でしたので、受付でこれまでの経過を色々と聞かれ、ずいぶん待たされた後に消化器科のO先生を受診しました。この後10年に渡ってお世話になるO先生は、内視鏡のスペシャリストで当時1年に3千件内視鏡検査を行うという事ですが、全くそんな事は露知らず、不安の中の受診です。
O先生は一通り私の話を聞いた後、「非常に危険な状況です。すぐに内視鏡検査を受けてください。明日枠を空けますので受けて下さい。」と言われました。そんな状況は想像していなかったので、とても驚きました。ガンの可能性も高いと判断されたようです。私は仕事を急に休めないので躊躇していたのですが、「あまり先延ばしに出来ない状態と考えます。ご自分の健康を考えるならすぐに検査した方がいいです。」とのこと。仕方ないので覚悟を決めて翌日検査を受けることにし、病院からすぐに会社に電話をし翌日休むと伝え、薬局でニフレックと下剤を貰って帰りました。またこれやんなくちゃならないのかというウンザリ感がかなりありました。

投稿者: ibdlife

潰瘍性大腸炎を20代で発病しましたが、既に私も50代。思えば長々とこの病気と付き合ってきたものです。まあ大病しても人生どうにかなるものです。絶望したらそこで終わり、気楽に生きましょう。 人工肛門ですが、旅行好きです。一人でどこへでも行けます。飛行機に乗って海外にも行けますよ!

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