最初の通院

「痔」が一向に治らないので、開業医の胃腸クリニックに行きました。
簡単な問診の後、お尻の触診があり、ろくに検査もせずやはり「痔」という結果に。今回はちゃんと処方された薬です。

しかし良くなったのか、ならなかったのか、この頃一時的に出血も止まりました。そのため、もう直ったと自己判断し、胃腸クリニックは一度行っただけです。しかし、便意を感じると我慢する事が徐々に難しくなってきました。そういう時はかなり柔らかめの便が出てきます。
多分我慢が効かなくなっているのは精神的な問題、または過敏性腸症候群ではないかと自己判断していました。

当時は私の転職もあり、「痔」どころではなかったので、この問題は完全に放置していました。しかし体の内部では徐々に進行していたのでしょう。

痔?!!

実のところ、どの時点を「発病」としたらいいか、私にも判りません。私は色々な手続き上の処理では、はっきりと病名が付いた「確定診断」が出た日を発病としていますが、実際にはそれ以前から徐々に症状が出ています。しかし、その原因が本当にUCだったのかどうかについては今となっては分かりません。何件も医者を回って「潰瘍性大腸炎」とは出なかった訳ですから。しかし、最初に血を見た日は今でもはっきり覚えています。

ある日、便通の後ポタポタと鮮血が肛門から落ちてきました。仕事が一通り終わり、東北道の羽生PAで軽く仮眠を取り、便意を感じてトイレに行きました。ごく普通の固めの便でした。
それがすべてで終わった後、数滴でしょうか真っ赤な血がポタポタと。驚きましたが、鮮血ってほんの数滴で、便器を真っ赤に染めるほど広がるんですね。

そこで感じたことは、「あぁ痔になっちゃったか」です。トラックドライバーの職業病とも言える病気ですが、様々な話は聞いていましたし、同僚にも多かったです。
早速会社に戻り、同僚たちに話をしましたが、「お前もやっと一人前の運転手だね」などと言われる始末。よく効く売薬の話などを仕入れて早速次の休日に買いに行きました。座薬型の薬です。当時は完全に「切れ痔」だと思っていました。何の疑いも無く。

しかし、市販の痔の薬では一向に良くなりません。いつも排便後にポタポタと出血していました。それでもまだ出血量が少ないのと、便自体は普通だったのでそのまま放置状態が続きました。

腹の調子がおかしくなる

盛大な下痢から程なくして、私の腸に変調が始まりました。非常に腹を壊しやすくなり、またトイレを我慢できなくなったのです。運転中に便意を感じるとほんの数分で限界を迎えます。何度かトラックを道端に停め、茂みに逃げ込んで用を足したこともありました。
これが郊外ならいいのですが、繁華街や首都高速の渋滞中だと困ります。幸いにして運転席の後ろにベッドのある4トン車でしたから、とりあえず一時停止できる場所さえ確保できれば、コンビニのビニールにでも出すことができます。

しかしこれが続くと便意を感じることが恐怖になってきます。UCは精神的に病むことも多い病気ですが、私もこの頃から少しずつおかしくなっていったように思います。
今思えば、この頃が発病初期と言える気もしますが、当時の私には自分が重大な難病に罹り始めているなどという認識は露程も無く、単に「腹を下しやすくなったなあ」という4気持ちでしかありませんでした。
しかしこの後から徐々に変調が始まります。

 

今となって思えば~発病前夜?

それは25歳頃でしたでしょうか?当時私は仙台から出てきた当初の夢に破れて、生活のために運送業に従事していました。仕事はとてもハードで、午前2時に4トントラックに手積みで荷物を積み込み数か所を回って手降ろしで配送、終了は夜の7時ころでしたが、配送間違いなどがあると当日中に対処しなければならないため、再度回り直し、夜10時を過ぎるなんてのもざらでした。そしてまた翌日未明から仕事です。

ある日、積み込みをしていると、急に猛烈な腹痛に襲われました。これがまた倉庫からトイレまで数百メートルあるのです、何とかたどり着きましたがズボンを下した後にパンツを下し・・・というところで我慢できず。ほとんど固形物の無いまるっきりの水便でした。
このような水便なので、深夜のトイレでパンツを水洗いし、履きなおすことでどうにか仕事復帰。当時一緒に積み込みを手伝ってくれた人は気づいたでしょうか?臭いは自身ではそれほど無かったと思っていましたが、今思えばトイレの帰りも遅いしうすうす気づいてたのかもしれません。まあ武士の情けだったのでしょうね。

今思えば、これがきっかけのように始まりました。

少年期~青年期

私は幼少期に急性腎炎を患っていますが、20代前半までは割と健康な方だと信じていました。ただ、中学時代から結構重い花粉症(当時はまだこの名前も浸透してなかったですね)があり、20歳ころからは尋常性乾癬という皮膚病も追加され、自身が少々アレルギー体質だという事を自覚していきました。

内臓に関しては、19歳ころに十二指腸潰瘍を患いましたが、比較的短期に投薬治療だけで全快しています。仙台から親元を離れて東京で一人暮らしを始めた当初だったので、医者にはストレスと不摂生な生活が原因じゃないかと言われていました。

子供時代は腹を下した経験はそれほど多くありません。小学5年生くらいに水のような下痢を一度やった記憶があるだけで、その後は20代中盤まで普通でした。