永久人口肛門への憧れ

数年前(というか2012年)、ウェブ業界に限界を感じた私はその業界を離れて、別業種の会社を興すことになりました。たった一人の株式会社です。今は1円ででも株式会社作れますからね。業種は航空関係のIT系ビジネスといったところです。ほとんどはPCの前での作業ですが、取材のために飛行機に乗って各地を周る事もあります。

その頃からやっと人並みに動けるようになって来ました。それまでは体力自体がなかなか回復してこなかったこと(ずっと自宅での座り仕事なので当然ですが)、2002年の手術後から続く低血圧(上は100無い事が多いです)による立ち眩み。80くらいだと目の前が真っ白になって倒れそうになります。そして、歩き出すと肛門が開いて漏便してしまう事により歩くこと自体が不快な事が原因で、外を歩くという事が苦手になってしまい、それを避けるようになっていたのです。
それが、大腸全摘出から10年が経ってやっと便がそれなりに硬くなった事が大きいと思いますが(ただしいまだに水便はありますし、硬いといっても泥状便の範疇です)、歩いての漏便が多少楽になってきたのです。

会社事務所を都心部のレンタルオフィスに置いたので、手術後初めて定期を買って電車通勤を始めました。もちろん「社長(爆笑)」なのでラッシュ時に通勤する事はありません。十分に朝のラッシュが終わってから昼前に出社です(笑。
これによって徐々に歩く事に慣れてきました。ストマのパンク等はこの頃には気にしなくともよくなっていましたし、パンクしたとしても十分対処できるようになっていました。歩き始めれば体力も回復してきます。血圧値はそれほど変わりませんでしたが立ち眩みもずいぶんと良くなって来ました。

電車だけでは無く、飛行機にも乗れるようになりました。最初は上空でパンクしたらどうしようと不安でしたが、いざ乗ってみればそれは杞憂でした。暴飲暴食して飛行機に乗るのはお勧めしませんが、乗る前に飲食を控えれば高空でガスが溜まってパンクというのも防げます。また飛行機代も障害者なので多少安いです(国内便だけですが)。
旅先でホテルにも泊まりました。さすがにシーツを汚すのが怖いので、紙パンツを履いて寝ていました。空港の周りを10キロ以上一人で歩いた事もあります。さすがに便漏れでお尻がデロデロにただれてしまいました。

こうなると私の敵はひとつだけ、「便漏れ」です。それさえ無くなれば普通に生活できます。ストマ管理さえしっかり出来ればズボンを汚す心配もなくなります。お尻の痛みともおさらばです。紙パンツとも縁が切れるでしょう。もし潰瘍性大腸炎が指定難病から外されて医療券を切られたとしてもダメージは少ないです。
もう肛門機能による便漏れの改善の見込みは無いと思われます。2ヶ月ごとに訪れるK先生の外来日に切々と訴えていましたが、とうとうK先生も諦めて「永久人口肛門にして、お尻は塞ぐしかないね」と言いました。そもそも前回の手術から私は永久人口肛門にしたかったのです。

これでほとんどの堀は埋まりました。後は家内の説得だけなのですが、家内はもう一度だけ手術を受けたいという私の希望に頑強に反対していました。
全身麻酔による開腹手術は、ずいぶんと安全になったとは言え現在でも一定のリスクをはらんでいます。麻酔事故の可能性もありますし、手術自体上手くいくとは限らないのです。QOL向上のために手術したとしても逆にそれを下げてしまう可能性もあります。
家内はそういったことに恐怖を感じているようでした。どうもこれまで比較的順調に手術が終わったけれども、次の手術こそ失敗して死んでしまうか寝たきりになってしまうのではないか?と考えているようでした。「今、以前に比べたらずいぶんと良くなって普通に動けているじゃない、今手術する必要は無いんじゃないの?」と言われてしまうと私もそうかなあと考え込んでしまいます。確かにリスクはあるのですから。
しかし、便漏れで痛むお尻のびらんに軟膏をすり込むたびに、永久人口肛門への憧れは強くなっていったのです。

障害者手帳と障害年金の申請

2孔ストマの便漏れと戦いながら数年が過ぎました。陥没はさらに進み、便量の1割くらいは肛門から漏れているのではないかと思います。水便がダラダラお尻を汚す事もしばしばですし、Jパウチで水分の抜けた硬い便がなかなか出ずに浣腸で流し出す事もありました。切開の後遺症で括約筋が弱り、我慢する事も便を押し出す事も出来なくなっているのです。
幸いにして痔ろうはその後完治し再発もありません。この点では満足していますが、肛門機能をほぼ失ってしまったのでもうストマを閉鎖する事は無理でしょう。一生ストマ生活を続けねばなりません。ストマ自体は2孔ですが、実質永久ストマと変わりなくなってしまいました。しかもお尻の便漏れ付きです。

このために主治医のK先生と相談して障害者手帳を取得する事にしました。
これは要件さえ満たしていれば比較的簡単です。指定医(大抵の総合病院なら大丈夫)に診断書を書いてもらい、自治体に申請すれば通ります。一ヶ月ほどで手帳を貰えます。要件を満たしていればですが。問題は年金の方です。

人口肛門だと国民年金では障害年金は出ませんが、厚生年金は出ます。この点多少調べたのですが、私の場合ストマ造設が会社を辞めて個人事業を始めた後だったので、ずっと出ないものだと思い込んでいました。
ところがある時ネットで調べ物をしている時に偶然見つけた情報で発見したのです。実はストマ造設時が重要では無く、ストマが必要になる「元になった病気の初診日」こそが重要だったのです。つまりストマ造設時に厚生年金を辞めていたとしても、元の病気の初診日に厚生年金に加入していれば障害年金は出るのです。私の場合、潰瘍性大腸炎として確定診断を受けた日こそがその日なのです。

真偽を確かめに管轄の年金事務所に行きました。はい、間違いないです。ただし、手続きは結構大変でしかも審査を受けて承認されなければなりません。ネットの情報を見るとこの審査はかなり厳しく、条件を満たしていても落ちるケースもあるようです。
山ほど書類を用意しなければなりません。問題になったのが初診病院の証明書です。その年月日に初診があった証明をしてもらわねばなりません。確定診断を受けたH病院に行って相談しましたが、既に20年近く前の事になり、しかもその後電子カルテ化などの大きな変化があったこともあり、カルテ情報が残ってないと言うのです。法的なカルテの保存期間は5年なので、それ以前の事については病院に保管義務は無いのです。しかし、H病院は調査してみると言う事でこの件は一旦保留になりました。門前払いにはなりませんでしたが、病院の書類が無いと無理かもしれません。

次は自分で書く申請書類ですが、これまでの経過を詳しく書かねばなりません。実はここで落とされるケースがよくあるそうです。出来るだけ経過を詳しく、また今の状態を正確に(ただし「如何に現在の自分に年金の助けが必要かどうか」も含めて)書く必要があります。何度か下書きをしてぎっしり詰め込むように細かく書き込みました。

現状の診断書も必要です。これは障害者手帳のように指定医はありません。ストマの執刀医に書いてもらう必要があります。私の場合A先生です。こちらもある程度先生に嘘にならない範囲で障害を強調するなど言い含めておく必要がありそうです。私の場合2孔の一時ストマであっても既に肛門機能の問題で戻せないという事を強調してもらう必要があるのです。普通の一時ストマは支給要件を満たしません。

その他、戸籍謄本等自分で必要な書類を揃えてH病院の結果を待ちました。
2週間ほど経ち、H病院から「用意できる」との連絡を貰いました。通院の情報が残っていたのと確定診断をしたO先生がまだ在籍しているので、書いて下さったそうです。
さあ書類は揃いました。年金事務所に書類を提出します。審査には2~3ヶ月掛かります。私は全て自分で行ないましたが、あまりに用意するものが多く、また書くのも大変なため、社労士に依頼する事もできます。私は社労士に依頼するという発想自体が無かったため自分で行ないましたが(笑。

その後、なかなか来なくてハラハラしましたが、無事認定され受給が始まりました。額としては年間80万円に満たず、これだけで生活していくのは無理ですが、外で働き難いオストメイトにとってはありがたいお金です。
なお、障害年金はストマを作ってから数年後に申請しましたが、それを遡ってお金が出ることはありません。あくまで申請後から受給が始まります。また、障害者手帳も障害年金も更新手続きがあります。難病医療券ほど面倒な手続きではありませんが、受給要件を満たさなくなれば切られてしまいますのでご注意を。

痔ろう手術その後と便漏れとの戦い

ともあれ二度目の手術を経て私の複雑痔ろうは全快しました。拳が入るほど切開された私の肛門が見た目上元に戻るには3ヶ月以上掛かりました。しかし括約筋ごとバッサリと切った私の肛門が以前のように閉じる事は無くなりました。

あまりに傷がむき出しのため、お風呂に入るのが怖かったのですが、いざ入ってしまえばそれほど気に病む事はありませんでした。出血が止まって肉が盛り上がってくれば、本来の皮膚とそれほど変わらず、そこから雑菌が入ることも無いでしょう。むしろ、清潔にしない方が感染症の危険が高まります。ただ、便漏れもあって、私のお風呂に入る順番は家族の一番最後です。湯船を必ず汚してしまいますから。

痔ろうが無くなったことにより肛門の痛みや化膿による炎症から開放されたので、気分は楽になりましたが、2孔ストマの陥没状況は徐々に進んでいき、それとともに肛門への便漏れ量も増えていきました。
痔ろう手術前は固形物の漏れは括約筋で防ぐ事ができたのですが、手術後はまったく力が入らず、ほぼ垂れ流し状態になってしまいました。パウチに一度入ったものも水便だと横になった際に吸い込んで肛門に流れ出てしまう場合もありました。
全体の便の量からすると1割にも満たないのですが、必ず便が漏れて来るので対処が必要です。最初は女性用生理ナプキンを当てていましたが、泥状便や固形便を受け止めきれないので、外出時は大腸全摘出前のように紙おむつ(リハビリパンツ)常用になってしまいました。
また、就寝中も便漏れが起こりますので、いつも私の肛門から尾骨周りは汚れています。それが段々とびらんになってしまい、かなり痛むようになりました。

Jパウチでの肛門排出による便漏れに加えて人口肛門の手間や装具のトラブルなどの可能性も加わって、せっかく手術を繰り返して苦労したのに二重苦の状態になってしまいました。この点では「何でいつも上手く行かないのかなあ?」と 運命を呪うしかありません。
しかし、割とこの後私は吹っ切れて、自宅にこもりがちだったのが段々外出の機会が増えていきます。既に大腸全摘出から5年以上経ち、便も大分水分のコントロールが効くようになってきました。外出する時は朝から飲食を制限すれば便漏れも最小限に出来ますし、いざ外で飲食して便漏れが発生しても紙パンツを履いているので臭い以外はどうにかなります。

外出時にパウチがパンクする事もありました。最初は大変な思いを何度かしましたが、これも慣れが段々解決していきます。パンクのパターンも段々読めてきて、旅行に行く場合はいつパウチを交換すればいいのか、食事はどのように取れば被害を最小限に防げるかが判ってきます。また何を常備しておけばいいかも。
一度自家用車で東京から名古屋まで仕事で行く機会がありました。名古屋の手前のSAで休憩している時にパウチが漏れ出しました。最近の高速SAは障害者用トイレがありますのでそこで交換したのですが、上手く付かなかったのかすぐまた漏れ出しました。しかし替えのパウチは既に使ってしまい手持ちは無し。止む終えず一日目の予定をキャンセルし東京の自宅へ戻り、入浴とパウチ交換、そして替えのパウチを数枚持って再び名古屋へと、一日千キロ以上走破した事もあります。こういった経験を繰り返して段々オストメイトとして鍛えられていきます。
最初は自家用車での外出オンリーでしたが、段々電車やバス、そして飛行機まで使えるようになって来ました。
その辺の色々なハウツーやエピソードはいずれまとめて書きたいと思います。

こんな感じの日常がこの後数年続いていきます。

痔ろう根治手術(二回目)

陥没ストマのために多少便漏れが肛門からあるのが気がかりですが、スケジュールに従って二度目の痔ろう根治手術を受けることにしました。今回はM病院では無く、K先生に紹介された隣県にあるT肛門病院です。私の住んでる地域の私鉄駅のホームには大抵この病院の看板がありますので、地域では結構有名な病院だと思います。痔ろう手術は経験の豊富な専門医が望ましいのであれば、一回目の手術もこういう医療機関を勧めてくれればよかったのにとも思いました。

自宅から鉄道で行くと2回乗換えでかなり遠回りですが、自家用車ならほぼ一本道で30分程度で着きます。早速紹介状を持って受診しに行きました。
古い建物の外来は独特の感じで、診察室のドアが5つほど並んでいます。もちろん全て肛門科ですが、患者はその前に一列に並び、自分の名前が呼ばれたドアに入っていきます。中に入ったらすぐに診察室ですが、5つほどに分れた診察室は中では繋がっており、パーティションで区切られているだけなので隣の診察の会話がもろ聞こえなのはちょっと困りますね。すぐにズボンとパンツを下げて診察用ベッドに横向きに寝かされます。
まあ大体のことは紹介状に書いてある訳なので、ちょっと患部を見たらもうズボンを上げて椅子に移動し、「いつ手術が良いですか」となります。

決まった事は、今回は再発の可能性が高い「括約筋温存手術」では無く「開放法」で行う事になりました。私の場合かなり深い複雑痔ろうなので括約筋をバッサリ切ってしまうと、術後の回復が長期にわたる事に加えて、肛門機能に(便漏れなどの)後遺症が残る可能性もあるのですが、既に人口肛門化していると言う事で、一度の手術で完治が見込める開放法の方が望ましいと言う事になりました。
開放法は以前行なった「括約筋温存手術」とは違い、本当にバッサリ肛門と痔ろう部分を切り開いてしまうので、肉が再びくっつくのに数ヶ月を要しますが、患部は全く残らないので再発の可能性はほとんどないというのがメリットです。局部麻酔で行い、入院期間は1週間です。

早速入院して手術。手術自体はものの10分くらいで終わります。外来も手術もまるでベルトコンベアーに乗せられたように次から次へと行なわれるのは肛門専門病院の特徴なのでしょうか? 手術後執刀医がカメラで患部を撮って、それをその場で見せてくれるのですが、哀れ私の肛門は拳が入るほどぱっくりと割れて広がってしまいました。結構ショッキングな写真でした。

術後は痛み止めを飲みながら患部に当てているガーゼを頻繁に取り替えていきます。やはり少しストマから肛門への便漏れが少しあり、切った後が便で汚れるのが気になります。しかも古いこの病院のトイレは昔の学校のトイレレベルで、ウォシュレットも無いどころか和式なのです。なので患部をいつでも清潔に保つ事ができません。これには困りましたが携帯ウォシュレットを使ってどうにか凌ぎました。

食事は腸管を切ったわけでは無いのですぐ始まります。病院食としてはH,M病院とは雲泥の差で、かなりおいしい部類だと思いました。
退屈な入院生活でしたが、ちょうど近くに自衛隊基地があり(知ってる人にはどこの病院かすぐ判りそうですが)、飛行機好きの私としては着陸態勢の自衛隊機を毎日見ることができて楽しかったです。

長期の入院を何度も繰り返している私にとっては、あっという間に退院です。と言っても患部はまだぱっくりと開いたままです。帰りにガーゼを買って行き、自宅で患部のケアをしていかねばなりません。
患部に漏れてくる便が沁みますが、あれだけ大きく切開した割にはそれほど痛みはありません。自宅に帰って初めて大きな鏡でまじまじと患部を見ましたが、気の弱い人なら結構ショックなほど大きく切開されています。果たして元通りになるんでしょうか? 私としてはこのまま一生人口肛門の方が楽だと既に腹の内は決まっていましたが。

陥没ストマ?

ストマと言うのは手術後2ヶ月ほど立たないと落ち着きません。切ってすぐは水様便で刺激性が高く、徐々にそれが治まってきます。また、術後すぐは腸管を切ったばかりなので全体的に腫れているのでストマも大きいのです。そこから徐々に傷の癒えとともにストマは縮んでくるのです。形が定まるには2ヶ月程度かかります(その後も加齢と共に少しずつ変化していきます)。ストマの装具(パウチ)のサイズも徐々に替えていく必要があります。

私の今回作った一時ストマですが、術後すぐの状態で皮膚より5ミリほどの高さしかありませんでした。2002年にK先生に作ってもらった時は、本当にお腹に大きな梅干がくっついているようなものだったのですが、今回はお腹に直接穴が開いているような状態です。
それが一ヶ月もすると陥没してきました。ストマごとお腹の中に入ってしまった感じです。

陥没ストマの例
陥没ストマの例

陥没ストマでもちゃんと機能さえしてくれれば別に問題無いのですが、困った事に流れ出てきた便が一部パウチに排出されずにそのまま肛門方向に流れ出てしまうようになりました。2穴ある一時ストマだからこそ起こった問題です。
(※1穴しかない永久ストマなら陥没していようがしまいが、単に便が出てくるだけですのでこの問題は起こりません)
これは痔ろう手術を控えている事を抜きにしても問題です。便漏れから開放されたいがために人口肛門にしたかったのに、それも止まらずさらには人口肛門の苦労も伴ってしまうのです。

しかしひとまず目前に迫った痔ろう手術を終わらせなければなりません。痔ろうさえ治れば多少は楽になるでしょうか。

一時人口肛門造設手術

スケジュール的に、先に一時ストーマの造設、その2ヵ月後くらいに痔ろう根治手術という事になります。ストマの方はいつものM病院、執刀は痔ろう手術と同じA先生に決まりました。入院期間は2週間の予定です。

入院すると、翌日の手術の説明をA先生から受けてから、いつものように腸管洗浄剤でお腹の中を空っぽにします。ちなみにM病院はニフレックでは無くマグコロールを使ってます。水溶性の強力下剤(ラキソベロンだったかな?)をコップ1杯の水に溶かして飲んでから、マグコロールを1リットル飲みます。
これはニフレックに比べるとずいぶんと楽です。多分ニフレックは30回以上、マグコロールは数回使っていますが、マグコロールの方が飲むのは楽ですね。

お腹が空っぽになっら翌日の手術まで点滴しながら絶食です。点滴していると不思議と空腹感は無いです。看護師さんに訊いても特にそういった成分は入ってないとの事なんですけどね。
また、いつも前日夜に「眠れなかったら眠剤を出します」と言われるのですが、これも貰った事はありません。メンタルが鈍感なだけかもしれませんが、手術前夜に朝まで眠れなかったと言う事は有りません。

手術当日になりました。今回もてくてく自分の足で歩いて手術室に入ります。もう全身麻酔の開腹手術も3回目なので慣れたものです。
手順もいつもと変わらず、手術台に横になり、裸にされたら横向きに背中を丸めて脊髄に管を入れてもらい、仰向けになったら心電図センサーや血圧センサー等を取り付けられ、麻酔のマスクを付けて深呼吸を「1.2、3・・・」
「ibdlifeさ~ん、わかりますかぁ~?おわりましたよぉ~!」ほっぺたを叩かれて終了です。
2時間ほどでさっくりと終わった手術でした。

2002年の大腸全摘出の時に作った一時ストマは右脇腹だったのですが、今回は左になりました。本当はあまり腹を穴の痕だらけにしたくなかったので、最初のマーキングは右にしてもらったのですが、入院前日についうっかり熱い飲み物を腹にこぼしてしまい、軽いやけどを予定位置に作ってしまったため、じゃあ左と言う事になりました。結果的に左で良かったと思っています。左右どちらも経験しましたが、右利きの私としては左にあった方が使い勝手がいい感じがします。

手術時間が短かった事もあり、体力の消耗はほとんど無く術後の経過は良好、あっという間に傷はくっつき食事も始まって何の問題も起こりませんでした。ストマの担当として男性看護師が付いてくれて、当初の張り替えや今後のストマの選定など色々相談に乗ってくれました。
その結果、抜糸もあっという間に終わり、予定より早く術後10日で退院となりました。

すべてが順調に終わったように見えた今回の手術ですが、ただ一点気になることが・・・。ストマの高さがずいぶんと低いんですよねえ・・・。