私はかなりの低血圧だと思っています。普段でも100行けば良い方です。以前も書いたと思いますが、若い頃は普通に120くらいあったのです。しかし、2002年の大腸全摘出手術の後、血圧が下がってしまいました。原因は不明ですが、私は輸血によって体質に何らかの変化があったのではないかと想像しています。もちろん素人考えですよ。それにそれ以前には無かったアルコールアレルギーも手術以降発生してしまいました。
手術によって出血しますから、手術直後は血圧は低いのがあたりまえです。しかし私の場合、なかなかそこから回復しません。今回の再手術でも手術翌日は70台の血圧でした。寝っぱなしならそれでもいいのですが、リハビリで歩く事を強要されますので困ります。血圧が低いと立っていられないどころか体を起こす事も辛いです。手術翌日歩く意欲はあったのですが、血圧が低すぎてリハビリのI先生(理学療法士)も立たせる事を断念しました。70くらいだと体を起こしても段々血の気が引いてきます。2日目も回復せずやはり断念しました。
これに関連してひと騒ぎありました。再手術2日目にレントゲン室からお呼びが掛かりました。手術翌日はポータブルのレントゲン機がベッドまで来ますが、それ以降は通常患者がレントゲン室まで行って撮影します。
手が空いていれば看護師が付き添って連れて行ってもらえるのですが、その日は忙しく看護助手さんが来ました。「ibdlifeさん歩いて行ける?」と訊かれましたがもちろん無理です。「それじゃ車椅子ね」と言いましたが、体を起こせない以上それも難しいんじゃないかなと思いました。私は「今日は血圧が低くてまだ体を起こせない」と言っても「レントゲン室から呼ばれたので行かなければならない」の一点張りです。仕方なく車椅子に座ることにしました。
どうにかベッドから車椅子に乗り移って動き始めましたが、やはり血圧が下がってくる感触があります。廊下に出たところで頭から血の気が引いてきました。そこにたまたま通りかかった私のリハビリ担当のI先生「え?どうしたの?ibdlifeさんは動かさないようナースステーションに伝えてあったのに!」。看護助手さんは「レントゲン室に呼ばれたから・・・」としどろもどろ。すぐにI先生は私の血圧を測り始めました。出てきた値は70を切ろうとしていました。
「すぐにベッドに戻して!!この人はまだベッドで動かさないと駄目!」
看護師さんも集まってきてもう廊下中大騒ぎです。私もかなり血が下がってきて目の前が霞んできます。看護助手さんはあたふた。数人の手を借りてベッドにまた戻り、レントゲンはポータブルを持ってきてもらうことになったようです。あのまま連れて行かれたらレントゲン室に到着する前に気を失っていたかもしれません。
看護助手と言う職種は注意が必要です。なるために資格は要りません。医師や看護師の指示の元で患者の様々な世話やベッドのシーツ交換、病棟の雑用を行なう職です。従って医療行為は出来ません。
今回の場合、私が血圧が低くて体を起こせないと言っているにも関わらずこの看護助手さんは「車椅子なら行ける」と判断してしまった事が間違いです。専門的な知識が無いのにも関わらず、自分の与えられた職務を優先するために、資格が無いのに患者の様態を判断してしまったと言うのが今回の騒ぎの原因です。私から起こせないことを聞いた後にナースステーションか私の担当看護師に問い合わせるべきでした。恐らく後でだいぶ叱られたでしょう。
病院によって異なるかもしれませんが、朝の患者の様態に関する引継ぎには看護助手は参加しません。その間は朝食の後始末や雑用に追われている時間帯です。ですので患者一人ひとりの状態を看護助手は知りません。飲水禁や食事禁などはベッド横に目印をつけますのでそれで判断しているようですが、細かい様態を把握している訳ではないので、今回の私のようなことが無いように注意が必要です。
そんな訳で再手術後は初回の手術以上に低血圧とそれが原因の強力な立ち眩みに悩まされました。騒ぎの一件の後看護師さんに相談したところ、鎮痛剤の副作用でそうなることもあるようだと言われたので、その日から背中に入っている鎮痛剤(常時少しずつ流れてますが、タンクに付いているボタンを押すことによって一時的に増量できます)のボタンを押しまくり(もちろん一定時間内に2回以上押すことは出来ないようになっています)、手術後3日目に背中の管を抜く事に成功しました。こんなこと良い子はやっちゃ駄目だよ!
背中の鎮痛剤が抜けた後は嘘のように立ち眩みも改善し、血圧も90台まで上がり、4日目からは歩けるようになりました。根拠については知識の無い私には判断が付きませんが、やはり鎮痛剤が血圧を低める何らかの作用をしていたように感じます。その後は日に日に歩ける距離も伸び、体力も付いて回復も進んでいきました。