痔ろう手術その後と便漏れとの戦い

ともあれ二度目の手術を経て私の複雑痔ろうは全快しました。拳が入るほど切開された私の肛門が見た目上元に戻るには3ヶ月以上掛かりました。しかし括約筋ごとバッサリと切った私の肛門が以前のように閉じる事は無くなりました。

あまりに傷がむき出しのため、お風呂に入るのが怖かったのですが、いざ入ってしまえばそれほど気に病む事はありませんでした。出血が止まって肉が盛り上がってくれば、本来の皮膚とそれほど変わらず、そこから雑菌が入ることも無いでしょう。むしろ、清潔にしない方が感染症の危険が高まります。ただ、便漏れもあって、私のお風呂に入る順番は家族の一番最後です。湯船を必ず汚してしまいますから。

痔ろうが無くなったことにより肛門の痛みや化膿による炎症から開放されたので、気分は楽になりましたが、2孔ストマの陥没状況は徐々に進んでいき、それとともに肛門への便漏れ量も増えていきました。
痔ろう手術前は固形物の漏れは括約筋で防ぐ事ができたのですが、手術後はまったく力が入らず、ほぼ垂れ流し状態になってしまいました。パウチに一度入ったものも水便だと横になった際に吸い込んで肛門に流れ出てしまう場合もありました。
全体の便の量からすると1割にも満たないのですが、必ず便が漏れて来るので対処が必要です。最初は女性用生理ナプキンを当てていましたが、泥状便や固形便を受け止めきれないので、外出時は大腸全摘出前のように紙おむつ(リハビリパンツ)常用になってしまいました。
また、就寝中も便漏れが起こりますので、いつも私の肛門から尾骨周りは汚れています。それが段々とびらんになってしまい、かなり痛むようになりました。

Jパウチでの肛門排出による便漏れに加えて人口肛門の手間や装具のトラブルなどの可能性も加わって、せっかく手術を繰り返して苦労したのに二重苦の状態になってしまいました。この点では「何でいつも上手く行かないのかなあ?」と 運命を呪うしかありません。
しかし、割とこの後私は吹っ切れて、自宅にこもりがちだったのが段々外出の機会が増えていきます。既に大腸全摘出から5年以上経ち、便も大分水分のコントロールが効くようになってきました。外出する時は朝から飲食を制限すれば便漏れも最小限に出来ますし、いざ外で飲食して便漏れが発生しても紙パンツを履いているので臭い以外はどうにかなります。

外出時にパウチがパンクする事もありました。最初は大変な思いを何度かしましたが、これも慣れが段々解決していきます。パンクのパターンも段々読めてきて、旅行に行く場合はいつパウチを交換すればいいのか、食事はどのように取れば被害を最小限に防げるかが判ってきます。また何を常備しておけばいいかも。
一度自家用車で東京から名古屋まで仕事で行く機会がありました。名古屋の手前のSAで休憩している時にパウチが漏れ出しました。最近の高速SAは障害者用トイレがありますのでそこで交換したのですが、上手く付かなかったのかすぐまた漏れ出しました。しかし替えのパウチは既に使ってしまい手持ちは無し。止む終えず一日目の予定をキャンセルし東京の自宅へ戻り、入浴とパウチ交換、そして替えのパウチを数枚持って再び名古屋へと、一日千キロ以上走破した事もあります。こういった経験を繰り返して段々オストメイトとして鍛えられていきます。
最初は自家用車での外出オンリーでしたが、段々電車やバス、そして飛行機まで使えるようになって来ました。
その辺の色々なハウツーやエピソードはいずれまとめて書きたいと思います。

こんな感じの日常がこの後数年続いていきます。

投稿者: ibdlife

潰瘍性大腸炎を20代で発病しましたが、既に私も50代。思えば長々とこの病気と付き合ってきたものです。まあ大病しても人生どうにかなるものです。絶望したらそこで終わり、気楽に生きましょう。 人工肛門ですが、旅行好きです。一人でどこへでも行けます。飛行機に乗って海外にも行けますよ!

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