手術からの回復ステップ

大きな手術は患者に大きな負担が掛かります。(家族にとってもそうですね)
手術直後は体中色々な管が刺さってますし、それに機器もつながってます。今回の私の場合、術後の排液を抜くドレーンの管が2本、内部洗浄用のカテーテルが1本、パウチから水便を溜める蓄便袋までのパイプ、首に刺さった中心静脈への点滴、背中に刺さった鎮痛剤(硬膜外麻酔)のチューブ、酸素マスク、心電図モニタのセンサー、足に巻かれた自動血圧測定器、足裏を押して血栓を防ぐ機械(IPCと言うらしい)、の10本前後の管やらコードやらが繋がっていました。今回の1回目の手術ではこれに鼻から胃に通す管もありました。
もしこれが生まれて初めての手術の場合、自身のこういう状況にショックを受けるかもしれません。まあ、患者自身は手術直後はそんなに自分を観察する余裕は無いかもしれませんが、家族は客観的にその状態を見るわけですのでさらにショックだろうと思います。家内も最初の時はかなりショックだったと言ってました。

そこからの回復はすぐに目に見えるものと、体に実感として伝わるものがあります。目に見えるのは体に一杯刺さった管やコードが日に日に少なくなっていくことですね。
私の場合、まず手術翌日に血圧測定器、IPC、酸素マスク、心電図モニタは取れました。3日目に背中の鎮痛剤のチューブが抜けました。中心静脈点滴の管は10日くらいでしたかね。そこからさらに数日でドレーンが抜けました。ドレーンは出て来る排液が無くなれば抜いてくれます。イレオ(小腸用)パウチ用外部蓄便袋が外されて、単独のパウチになったのもこの頃でした。最後まで残ったのが内部洗浄用のカテーテルでした。一週間目くらいから朝の回診時に少しずつ切り詰めることになって、それが抜けたら退院と言う事になりました。
これらがひとつひとつ抜けるごとにほっとします。またそれにより退院への希望が沸いて来るのです。この期間は個人差が結構有ると思いますが、通常の開腹手術だと2週間程度が退院までの目安だと思います。私の今回の1回目手術の予定もそうでした。再手術はこれまで書いた通り色々有りすぎて、普通の人より時間が掛かりましたね。

体に実感として判る回復というと、まず最初に「歩ける!」です。早い人は手術翌日にスタスタ歩いちゃいます。何日も低血圧で立てなかった私からは、とてもうらやましかったです。最初は担当の理学療法士がコントロールして距離を抑えますが、数日立てば「リハビリ時間外にも自分でたくさん歩いて下さい」と指示されます。なので病棟の廊下はいつも「自主トレ」の患者がぞろぞろと歩いています。見舞いに来た人からはちょっと変に見えるかもしれません。
次に食事が始まります。腸管を切っちゃった人は数日かかりますが、大抵4~5日問題が無ければ流動食から始まるはずです。それが一部粥になり三分粥になり、五分粥になり全粥になって常食になります。硬いお米になったときは嬉しいですよ。腸閉塞に途中でなっちゃったらまた止まっちゃいますからね。
食事って言うのは具合が悪いと全然食べられないものです。精神的な要素も重要だと今回の入院で実感しました。まず具合が悪いと一口でもういいやってなりますし、気分が落ち込んでいてもそうです。だから出て来たものを完食できるって言うのは患者自身にも勇気を与えます。看護師さんたちにもとっても喜んでもらえます。通常食事が始まって完食できるようなら点滴が抜けます。早く点滴を抜きたいなら一生懸命ご飯を食べることです。それによって退院も早まります。

この両方が最終段階になったら主治医が「では退院はいつにしましょうか?」と尋ねるのです。最初に決めておいても私のようにスケジュール通りに行くとは限りません。前回の一時ストマ造設の時は2週間の予定が10日で退院できたり、回復状況によって全然違います。また退院も数日前からなんとなくは判っていても患者によっては「じゃあ明日退院ね」とか急に決まりますから仕事のスケジュール調整に大変です。今回入院している間、そんな人が何人もいて奥さんに「明日退院だからお金持ってきてー」と電話(病室内は携帯禁止ですが、重病人もいないので割とルーズでした)でやっていました。もちろん「いや都合で明後日に」とかは可能な筈です。私の場合、「明日以降いつでも退院していいから師長さんと相談して」でした。

投稿者: ibdlife

潰瘍性大腸炎を20代で発病しましたが、既に私も50代。思えば長々とこの病気と付き合ってきたものです。まあ大病しても人生どうにかなるものです。絶望したらそこで終わり、気楽に生きましょう。 人工肛門ですが、旅行好きです。一人でどこへでも行けます。飛行機に乗って海外にも行けますよ!

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