手術翌日

ほとんど寝られずに翌朝を迎えました。発熱は38度台まで下がり、悪寒も大分引いたので電気毛布は外してもらいました。輸血は結局3パック行ないました。当時の事ですので、後で肝炎などの輸血感染症が心配になりましたが、結局何事も無かったので幸いでした。

翌朝は看護師さんがベッド上で下半身の洗浄をしてくれました。多分手術後なので血液などの付着があるからだと思いますが、若い看護師さんが陰部も丁寧に洗ってくれるので、反応しちゃったら恥ずかしいと思いましたが、私の身体自体がそんな余裕があるはずも無く、全く無反応で気にするだけ無駄でした。
ちなみに1回目も2回目も病棟で一番若い看護学校出たての元ヤン風のかわいい子でしたが、一番若手がやる事になってるんでしょうかね? 確かにあまり楽しい仕事ではないと思います。

少し余裕が出てきたので自分を観察してみます。管がいっぱい繋がっています。点滴、血圧計、心電図、背中への鎮痛剤、お腹の中から汚れた液を抜くためのドレーン、尿道カテーテル。6~7本の管が繋がっています。まだほとんど動けないので確認できませんが、一時人工肛門もあってパウチ(装具)が付いている筈です。お腹中がジンジン痺れている感じなので、どこにそれがあるか分りません。
腹の痛みはそれほどでも無いです。背中の管から常時鎮痛剤が送られてますので、直接的な激痛などは無いです。しかしお腹の中の違和感やお腹全体の鈍痛はあります。
傷口はこの段階ではまだ見ていません。腹帯で巻かれているので、回診に先生が来るのを待たねばなりません。

K先生は9時前に来ました。外来が始まる前に寄ってくれたようです。腹帯を開いて患部を消毒してくれました。この時初めて切った自分のお腹を見ました。胸のすぐ下から陰毛のすぐ上まで二十数センチに渡って縫い傷がありました。
最初の感想は「あ~やってもうた、親から貰った大事な身体に。」でした。手術前からこうなる事は分ってはいた事ですが、いざ傷を見ると結構ショックが大きかったです。
人工肛門(ストマ)は右わき腹にありました。術後用のパウチが付いていて、茶色い水(腸液)がガスと一緒にぐりゅんぐりゅんと渦巻いています。「ガスも出始めているので大丈夫そうですね」とK先生。看護師さんが一旦パウチの中身を抜いてくれました。

家内は10時過ぎにやってきました。夕べはほとんど喋れなかったので、手術時の話を聞きました。やはりあまりに長時間なので不安だったようです。途中で何人も別の先生が入れ替わり立ち代り出入りして、「まだ終わらないの?」などと言っていたそうです。その間家族には何の説明も無かったと。
手術後、K先生がまず無事に手術が成功した事を言い、時間がかかったことについては、「胴が長かったのでなかなか肛門まで小腸が届かず、一時は断念して永久人工肛門まで検討したが、まだ若い(当時40歳)ので何とかすることになり、少しずつ網のように包んでいる血管を切りながら小腸を伸ばしてどうにか繋げたために時間を要した」との事でした。これに関しては(永久人工肛門になった今となっては無駄になったことだけど)一応感謝。
家族は切り取った大腸を見せてもらったそうです。赤黒いサンショウウオみたいに見えたそうです。何度か手術をしてますが、あれなんで本人は見れないんでしょうかね?

とにかく喉が渇くのですが、まだ水を口に出来ません。ゆすぐのもまだOKが出ていません。それと酸素マスクをつけているのが苦しくて、勝手に外してしまい何度も看護師さんに怒られてました。午後になって熱も大分下がり身体は楽になってきましたが、まだ体を起こす事もできません。
最近は腸閉塞防止のため手術翌日には患者を歩かせるのですが、さすがにまだ血圧が上がってこない私は無理です。ベッドの頭側を電動で持ち上げられるので、体を慣らしていこうと何度か行ないましたが、ちょっと頭を上げたところで酷い立ち眩みのようになり「無理無理!」となります。

まだまだ時間が必要です。この日は30分毎に目が覚めましたが、少し寝る事が出来ました。

投稿者: ibdlife

潰瘍性大腸炎を20代で発病しましたが、既に私も50代。思えば長々とこの病気と付き合ってきたものです。まあ大病しても人生どうにかなるものです。絶望したらそこで終わり、気楽に生きましょう。 人工肛門ですが、旅行好きです。一人でどこへでも行けます。飛行機に乗って海外にも行けますよ!

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