退院後2ヶ月経って

8月もまもなく終わり、私が退院してから7週間が過ぎました。2ヶ月には少し足りませんが現時点での状況を少し書いて置きたいと思います。

執刀していただいたH病院外科のKb先生の外来は、あの後1回行っただけで後は本来の主治医、M病院のK先生の元に戻る事になりました。先週3ヶ月ぶりにK先生の診察を受けてきましたが、「何か大変だったらしいね~」と笑ってました。いや~笑い事じゃないんですが・・・。
今回の血液検査で、2002年の大腸全摘出手術以来ずっと続いていたCRPの異常値が初めて正常値になりました。CRPは炎症反応を見る値なのですが、ずっと高いままだったのです。正常値は0.3以下なのですが、これまで1.0~0.6くらいをずっと彷徨っていた感じです。これが今回は0.19まで下がりました。
K先生にも原因はよく判らなかったようで、「Jパウチの炎症があるんじゃないかね~?」と言っていましたが、内視鏡検査でもよく判らなかったのです。今回Jパウチを切除して下がっているということは、やはりその辺が原因だったのかもしれません。とりあえず良かった良かった。
血液検査は栄養状態部分でマイナスの値がいくつか見られたものの、他は良好で安心しました。また来年GFとCF検査するそうです。CFなんてどうするんだろう? カンシで広げれば事足りるような気がする。

ストマの方は順調です。これも先週H病院のストーマ外来に2度目の通院をしてUナースに診てもらいました。横穴は完全に塞がり、ポケット部分もやや場所によって少し残っているものの、まもなくそれも塞がるとのことでした。
ストマの直径はもう3cmまで縮んでしまいました。このために退院直後にLサイズのパウチ(貼り付ける部分の穴の直径が違うのです)を購入したのに、またMサイズに戻さなければなりません。しかしそれもどちらかと言うと嬉しい誤算です。
Uさんといつものように雑談をしながらの楽しいパウチ交換は後もう1回で終了しそうです。きれいな女性と一緒にいられるのは愉快なのに残念です(<何言ってんだこいつと言われそう)。
私はコンバテックのパウチ愛用なのですが、入院中はせいぜい4日しか持たなかったプレート部も、今では手術前と同様に6日持つようになりました。これも回復の現れでしょう。

そうそう、入院中に病棟にはオストメイト用トイレが無く、「何で消化器病棟に無いんだよ~」と病院の意見箱に入れておいたのですが、今度付くようです。私の提言が採用されたそうです。Uさんが「ibdlifeさん、どれがいいの?」と訊いて来たので、「TOTOはコンパクトでデザインも良いんだけど、INAXのダサい方がお年寄りとかは普段使ってるお風呂の混合栓に近いのでいいんじゃないかなあ」と答えておきました。あとシャワーは必須と。
こういうことに対処が早いというのは、良い病院なのでしょう。私の意見が上がってすぐに経営会議で取り上げられたそうです。

今日は台風が来ていますが、関東は逸れて東北に向かった模様。仙台は実家があるのでそれなりに心配しています。針路に当たる皆様もご注意下さい。

そしてやっと退院-25年の闘病記終了

そして今自宅でこうやってブログを書いています。退院からまもなく2ヶ月が経とうとしています。あの後、再手術後3週目に状況は大きく好転しました。

正中の縫い目も今回は大事に大事に注意していたので、前回のようにじくじくする事も無くくっつきました。ちょっと引きつりが残りそうですが、特に裸になる予定も無いので醜くなければそんな事は気になりません。執刀医で入院中の主治医であったKb先生には「内部洗浄用のカテーテルが抜けたら退院」と言われていました。
心配なのはストマの具合ですが、Kb先生は「あとはUナースと相談の上」などとそれほど興味が無さそうです。外科医にとっては傷の癒えという「ハード」部分が大事で、自分の作ったストマの使い勝手がどうと言う「ソフト」部分には大して興味が無いのでしょうか? ストマが治る治らないに関わらずカテーテルが抜けたら退院と言う事のようです。

そのストマですが、Uナースの努力の甲斐あって徐々にですが順調に回復していました。穴はまだ確認できるものの便の横漏れはほぼ無くなり、全体的にストマも小さく締まって来ています。手術直後のストマの直径が4.5cmだったのが、今では3.5cmまで縮んでいます。周りの縫合が剥がれたポケットも大分浅くなっているようです。
ある日のストマ交換でUナースが、ストマの口に小指を突っ込んでまさぐりながら「あれ?塞がってるかも」と言いました。細い針をポケットの方にに差し込み、ストマの口から入れた指がそれに触れるかどうかで判断しています。
なんと言う安堵感。ここまで心が何度も折れそうになりながら頑張った甲斐がありました。本当に頑張ったのはUナースだけどね。
「これで退院しても自分でストマを管理できそうだね」
そう、これで後はお腹に刺さってるカテーテルが抜けるだけです。毎日2cmずつ短くしているのでそろそろの筈です。

七夕の日の昼食はニンジンがお星様のそうめん
七夕の日の昼食はニンジンがお星様のそうめん

7/7の朝の回診で、ちょっとお腹に力を入れたら「ちゅるん」と抜けちゃいました。看護師さんに「ibdlifeさん、今力入れたでしょう」とニヤニヤしながら言われましたが、抜けた事には変わりありません。その日担当の回診医に「頑張りましたね、退院ですね」と言われてちょっと泣きそうです。
後でKb先生が様子を見に来て、「じゃあいつでも退院していいですよ」「じゃあ土曜日でお願いします」と退院は7/9の土曜日に決まりました。

もう既に入院期間は1ヶ月を超えています。体力の衰えが心配ですが、病棟廊下を歩くのは楽すぎて体力回復に役立たないので、このところは階段を昇り降りして鍛えていました。初めて行なった日はワンフロア昇るだけで息が切れて倒れそうになっていましたが、もう既に1階~5階を2往復くらいはできるようになりました。ちょっと低血圧での立ち眩みはありますが、これは手術前からそうなのでそれほど心配はしていません。

七輪房の特盛りランチとユッケジャンスープ!
七輪房の特盛りランチとユッケジャンスープ!
食べ切れなかったorz

そして退院日、担当チームの看護師さんたちには感謝の言葉しかありません。再手術を告げられた日に手を握って励ましてくれたAさんありがとう。Mさん、あなたの夜勤の日ばかりパウチがパンクしたのに嫌な顔ひとつせず替えてくれてありがとう。みんな明るくて楽しい看護師さんばかりでした。
当日出勤の看護師さんたちに感謝の言葉を告げて、朝10時に会計に呼ばれて退院です。タクシーを呼んで一旦自宅に帰ります。退院当日に絶対やりたいことがありました。そう!焼肉を食べるのです!
久しぶりに自家用車で近くの焼肉店に直行! 病院では絶対に出ない焼肉を腹いっぱい食しました。長期入院で胃が縮んでいるためあまり量を食べられないのが恨めしい!

そしてこれでこの25年に渡る私の潰瘍性大腸炎から永久人口肛門になるまでの闘病記は終了です。長い長い話しにお付き合い下さりありがとうございました。今後は通院での状況や、これまでのストマ生活でのノウハウや四方山話を書いていこうと思います。

退院に少しずつ近づいている!

再手術から2週間、月も跨いで7月になってしまいました。ひとまず再手術前の一時帰宅で月越えのための仕事他様々な手続きはしてあったのでとりあえず大丈夫ですが、さらにもうひと月かかるなんて事になったらいったいどうすればいいのでしょう?

そんな中でも手術自体の回復はどんどん進み、体に残っている管は体内洗浄用のカテーテルのみです。毎朝の回診でこれに注射器を使って生理食塩水を体内の肛門の裏あたりに流し込むのですが、閉じてる筈の肛門からジャーと出てきます。このために回診時には紙おむつしてます。主治医のKb先生にも予想外だったらしく、「その内閉じる筈です」とは言うものの、そもそもここは最初の手術で処置した箇所なので、もう一ヶ月を迎えようとしているのにこれでは正直怖いです。腸管は肛門より4センチほど上でちょん切られているので、その先は丸っきりのお腹の中です。このままの状態が続くなら退院してお風呂にでも入ったら感染症が心配です。
そんな7月頭のある日、何故か注射器を押しても食塩水が肛門から出ませんでした。「そろそろくっついたのでしょう」とのことで、翌日から回診時にカテーテルを毎日2センチずつ短くしていく事になりました。やっとかと思うのもつかの間、翌日はまたジャーと出ました。その翌日はまた出ません。この頃がちょうど境目だったようです。その後は順調に2センチずつ詰めていきましたが、結構長いのですよ、この管。まだまだ取れるには掛かりそうです。

私にとって最大の問題なのは人口肛門(ストマ)の方です。手術の傷は時間が掛かるとしてもいずれ癒えます。しかしストマが不出来だった場合、それを管理維持するのは容易ではありません。ストマの口からだけでは無く、脇からもどんどん出てくるのですから、通常のストマパウチをぺたりと貼っても消化液が粘着部をすぐに溶かして漏れてしまいます。漏れたところの皮膚は消化液の強力なアルカリでやられてしまってびらんになるので、さらにそこから漏れやすくなる悪循環です。これがそのままだと自宅に戻されても家から一歩も出ることの出来ない状況が予想できます。
しかし、WOCナースのUさんの尽力で再手術後パンクは一度も無いと言う奇跡的な状況でした。パンク寸前だったのは一度だけあります。しかし衣服やベッドを汚すような状況はありませんでした。しかもパウチの交換も2日に1回と伸びてきました。再手術前の1日に2回以上も漏れて交換していたのと比べれば雲泥の差です。

いつものように外来の患者が終わった後(Uナースはストマ外来の責任者です)、5階病棟に上がってきて私のパウチを交換してくれます。交換は自分でも出来ますが、毎回ストマの状態をチェックして適切な処置を行うと言う理由で、パウチ交換は完全にお任せです。
「何か全体に大分くっついてきたよー」とUさん
「ほんと?!横穴ももうすぐふさがる?」と私
「それはまだだな」
がっくり・・・
しかし状況は徐々に好転しています。Uナースの処置が正しくこのままストマが正常な形に修復される事を祈るのみです。そしてそれはその方向に動いているように見えます。

なんと言っても食事を再開後、全て完食、しかもパウチのパンク無し! これは精神的に大きいです。エレンタールも終わりました。食事を普通に摂れるようになればかえって栄養過多になっちゃいますから。
ご飯もおかゆから通常の白米になりました。いつまでもおかゆなのでKb先生に「そろそろ硬いご飯にならないんでしょうか?」と尋ねたところ、「あ、そう?おかゆの方が食べやすいと思って」ですと!なんと主治医が止めてたとは!
即日普通のご飯になりました。
徐々に退院が見えてきました。あと一週間かな?と勝手に思っていましたけど。

手術からの回復ステップ

大きな手術は患者に大きな負担が掛かります。(家族にとってもそうですね)
手術直後は体中色々な管が刺さってますし、それに機器もつながってます。今回の私の場合、術後の排液を抜くドレーンの管が2本、内部洗浄用のカテーテルが1本、パウチから水便を溜める蓄便袋までのパイプ、首に刺さった中心静脈への点滴、背中に刺さった鎮痛剤(硬膜外麻酔)のチューブ、酸素マスク、心電図モニタのセンサー、足に巻かれた自動血圧測定器、足裏を押して血栓を防ぐ機械(IPCと言うらしい)、の10本前後の管やらコードやらが繋がっていました。今回の1回目の手術ではこれに鼻から胃に通す管もありました。
もしこれが生まれて初めての手術の場合、自身のこういう状況にショックを受けるかもしれません。まあ、患者自身は手術直後はそんなに自分を観察する余裕は無いかもしれませんが、家族は客観的にその状態を見るわけですのでさらにショックだろうと思います。家内も最初の時はかなりショックだったと言ってました。

そこからの回復はすぐに目に見えるものと、体に実感として伝わるものがあります。目に見えるのは体に一杯刺さった管やコードが日に日に少なくなっていくことですね。
私の場合、まず手術翌日に血圧測定器、IPC、酸素マスク、心電図モニタは取れました。3日目に背中の鎮痛剤のチューブが抜けました。中心静脈点滴の管は10日くらいでしたかね。そこからさらに数日でドレーンが抜けました。ドレーンは出て来る排液が無くなれば抜いてくれます。イレオ(小腸用)パウチ用外部蓄便袋が外されて、単独のパウチになったのもこの頃でした。最後まで残ったのが内部洗浄用のカテーテルでした。一週間目くらいから朝の回診時に少しずつ切り詰めることになって、それが抜けたら退院と言う事になりました。
これらがひとつひとつ抜けるごとにほっとします。またそれにより退院への希望が沸いて来るのです。この期間は個人差が結構有ると思いますが、通常の開腹手術だと2週間程度が退院までの目安だと思います。私の今回の1回目手術の予定もそうでした。再手術はこれまで書いた通り色々有りすぎて、普通の人より時間が掛かりましたね。

体に実感として判る回復というと、まず最初に「歩ける!」です。早い人は手術翌日にスタスタ歩いちゃいます。何日も低血圧で立てなかった私からは、とてもうらやましかったです。最初は担当の理学療法士がコントロールして距離を抑えますが、数日立てば「リハビリ時間外にも自分でたくさん歩いて下さい」と指示されます。なので病棟の廊下はいつも「自主トレ」の患者がぞろぞろと歩いています。見舞いに来た人からはちょっと変に見えるかもしれません。
次に食事が始まります。腸管を切っちゃった人は数日かかりますが、大抵4~5日問題が無ければ流動食から始まるはずです。それが一部粥になり三分粥になり、五分粥になり全粥になって常食になります。硬いお米になったときは嬉しいですよ。腸閉塞に途中でなっちゃったらまた止まっちゃいますからね。
食事って言うのは具合が悪いと全然食べられないものです。精神的な要素も重要だと今回の入院で実感しました。まず具合が悪いと一口でもういいやってなりますし、気分が落ち込んでいてもそうです。だから出て来たものを完食できるって言うのは患者自身にも勇気を与えます。看護師さんたちにもとっても喜んでもらえます。通常食事が始まって完食できるようなら点滴が抜けます。早く点滴を抜きたいなら一生懸命ご飯を食べることです。それによって退院も早まります。

この両方が最終段階になったら主治医が「では退院はいつにしましょうか?」と尋ねるのです。最初に決めておいても私のようにスケジュール通りに行くとは限りません。前回の一時ストマ造設の時は2週間の予定が10日で退院できたり、回復状況によって全然違います。また退院も数日前からなんとなくは判っていても患者によっては「じゃあ明日退院ね」とか急に決まりますから仕事のスケジュール調整に大変です。今回入院している間、そんな人が何人もいて奥さんに「明日退院だからお金持ってきてー」と電話(病室内は携帯禁止ですが、重病人もいないので割とルーズでした)でやっていました。もちろん「いや都合で明後日に」とかは可能な筈です。私の場合、「明日以降いつでも退院していいから師長さんと相談して」でした。

一週間ぶりに食事始まる

再手術から7日目の金曜日、回診のKb先生が言いました。
「明日から食事始めましょうか」
この一週間ずっと、首から中心静脈に入れている高カロリー輸液(エルネオパ)とエレンタールだけです。それだけでも一日2千キロカロリーほど摂れているはずです。歩き始めているから体力も徐々に回復してきました。もう病棟の端から端まで75mを2往復、300mくらいは楽勝で歩けます。
ただ、再手術前に毎日数回ずつストマパウチが漏れるという状況だったので、その後遺症と言うかトラウマが残っていたのでいささか心配です。再手術後はUナースの尽力もあって全くパンクはしていないのですが、もう少しストマの状態が良くなって来るまで食事を待ちたいのが本音です。
「でも食事を始めないといつまでも点滴が抜けないですよ」
そうなんですよね、食事を取らないということはこのわずらわしい首の針を抜く事ができません。まだ腕の点滴なら楽なのですが、このIVH(中心静脈栄養)は感染症に気を使うし、首に管付いていると言うのはわずらわしいし、ここ数日かゆくなってきたしでそろそろ負担になりつつあります。

最初の食事はうどん
最初の食事はうどん

そんな訳でちょうど一週間目の土曜日から食事が開始になりました。「またあの糞不味い三分粥食べにゃならんかー」と戦々恐々としていたのですが、なんと今回はいきなり全粥からのスタートでした。再手術では腸管もストマも手を付けていないので問題無いそうです。
最初の食事、土曜日の昼は恒例のうどんです。先週の土曜日は手術でしたし、先々週はパウチのパンクが怖くてとても食べられる精神状態ではありませんでした。麺好きの私としてはありがたいうどんをやっと食べることができます。そんなところに担当のMナース。
「あれ、ibdlifeさん、天ぷら付いてないの?」
「え~?天ぷら付いてるのぉ~?」
「あ、低残査か、ごめんごめん、付いてないわ」
全く余計な事を。でも私この看護師さんが大好きです。(不貞な意味じゃないよ!)

食事が始まってもすぐにはIVHの針は抜けません。エルネオパ2000mlとエレンタール1本、それに食事も開始されるとなると3500kcalを優に超える筈で、ちょっと多すぎます。
そういえば、IVHをやっている最中は毎日3回、血糖値を計ります。血糖値が150を超えるとインシュリンを打たれてしまいます。私は糖尿の気は全く無かったのですが、このところ夜に血糖値が上がってインシュリンを打たれてしまっていました。午前、午後、夜と3回計るのですが、何故か夜だけリミットを越えるのです。さすがにこんなにインシュリンを打っていたら、これまでその気配も無かったのに糖尿になってしまいかねないと素人考えしていました。だいいち低血糖になってぶっ倒れちゃわないのかな?
何故夜だけ血糖値が上がるのか、自分の行動パターンをよーく考えてやっと判りました。私は消灯前にジュースを飲むのです。喉が乾くのと自主的にビタミンCの補給。しかしジュースには大量の糖分が。そう、たぶんそれが原因で10時の血糖値が跳ね上がってしまうのです。
試しに数日ジュースをやめてみたら・・・。ビンゴ! やっぱり血糖値は正常値でした。もし同様に非糖尿で血糖値測定をしている方、測定前のジュースは慎みましょう。

七夕のそうめん
七夕の日もそうめんでした。にんじんが星型です。それだけですけどね(笑。

さてカロリー摂りすぎの私ですが、翌週火曜日にやっとIVHを抜きました。入れる時は30分くらい大作業でしたが、抜く時は5分くらいでさっと抜けました。痛いかと思って目を瞑ってましたが、自分でも気が付かないくらいにあっさりと抜けました。いやー楽だ! しかもこの後腕に点滴入れられるかと思ったらそれも無し! 全くのフリー状態です。点滴棒とおさらば。あとは食事を毎完食して栄養状態の数値を上げるだけです。それでストマが治れば退院です。

あ、まだその他にお腹に管刺さってた。残念。

低血圧に悩まされる

私はかなりの低血圧だと思っています。普段でも100行けば良い方です。以前も書いたと思いますが、若い頃は普通に120くらいあったのです。しかし、2002年の大腸全摘出手術の後、血圧が下がってしまいました。原因は不明ですが、私は輸血によって体質に何らかの変化があったのではないかと想像しています。もちろん素人考えですよ。それにそれ以前には無かったアルコールアレルギーも手術以降発生してしまいました。

手術によって出血しますから、手術直後は血圧は低いのがあたりまえです。しかし私の場合、なかなかそこから回復しません。今回の再手術でも手術翌日は70台の血圧でした。寝っぱなしならそれでもいいのですが、リハビリで歩く事を強要されますので困ります。血圧が低いと立っていられないどころか体を起こす事も辛いです。手術翌日歩く意欲はあったのですが、血圧が低すぎてリハビリのI先生(理学療法士)も立たせる事を断念しました。70くらいだと体を起こしても段々血の気が引いてきます。2日目も回復せずやはり断念しました。

これに関連してひと騒ぎありました。再手術2日目にレントゲン室からお呼びが掛かりました。手術翌日はポータブルのレントゲン機がベッドまで来ますが、それ以降は通常患者がレントゲン室まで行って撮影します。
手が空いていれば看護師が付き添って連れて行ってもらえるのですが、その日は忙しく看護助手さんが来ました。「ibdlifeさん歩いて行ける?」と訊かれましたがもちろん無理です。「それじゃ車椅子ね」と言いましたが、体を起こせない以上それも難しいんじゃないかなと思いました。私は「今日は血圧が低くてまだ体を起こせない」と言っても「レントゲン室から呼ばれたので行かなければならない」の一点張りです。仕方なく車椅子に座ることにしました。
どうにかベッドから車椅子に乗り移って動き始めましたが、やはり血圧が下がってくる感触があります。廊下に出たところで頭から血の気が引いてきました。そこにたまたま通りかかった私のリハビリ担当のI先生「え?どうしたの?ibdlifeさんは動かさないようナースステーションに伝えてあったのに!」。看護助手さんは「レントゲン室に呼ばれたから・・・」としどろもどろ。すぐにI先生は私の血圧を測り始めました。出てきた値は70を切ろうとしていました。
「すぐにベッドに戻して!!この人はまだベッドで動かさないと駄目!」
看護師さんも集まってきてもう廊下中大騒ぎです。私もかなり血が下がってきて目の前が霞んできます。看護助手さんはあたふた。数人の手を借りてベッドにまた戻り、レントゲンはポータブルを持ってきてもらうことになったようです。あのまま連れて行かれたらレントゲン室に到着する前に気を失っていたかもしれません。

看護助手と言う職種は注意が必要です。なるために資格は要りません。医師や看護師の指示の元で患者の様々な世話やベッドのシーツ交換、病棟の雑用を行なう職です。従って医療行為は出来ません。
今回の場合、私が血圧が低くて体を起こせないと言っているにも関わらずこの看護助手さんは「車椅子なら行ける」と判断してしまった事が間違いです。専門的な知識が無いのにも関わらず、自分の与えられた職務を優先するために、資格が無いのに患者の様態を判断してしまったと言うのが今回の騒ぎの原因です。私から起こせないことを聞いた後にナースステーションか私の担当看護師に問い合わせるべきでした。恐らく後でだいぶ叱られたでしょう。
病院によって異なるかもしれませんが、朝の患者の様態に関する引継ぎには看護助手は参加しません。その間は朝食の後始末や雑用に追われている時間帯です。ですので患者一人ひとりの状態を看護助手は知りません。飲水禁や食事禁などはベッド横に目印をつけますのでそれで判断しているようですが、細かい様態を把握している訳ではないので、今回の私のようなことが無いように注意が必要です。

そんな訳で再手術後は初回の手術以上に低血圧とそれが原因の強力な立ち眩みに悩まされました。騒ぎの一件の後看護師さんに相談したところ、鎮痛剤の副作用でそうなることもあるようだと言われたので、その日から背中に入っている鎮痛剤(常時少しずつ流れてますが、タンクに付いているボタンを押すことによって一時的に増量できます)のボタンを押しまくり(もちろん一定時間内に2回以上押すことは出来ないようになっています)、手術後3日目に背中の管を抜く事に成功しました。こんなこと良い子はやっちゃ駄目だよ!
背中の鎮痛剤が抜けた後は嘘のように立ち眩みも改善し、血圧も90台まで上がり、4日目からは歩けるようになりました。根拠については知識の無い私には判断が付きませんが、やはり鎮痛剤が血圧を低める何らかの作用をしていたように感じます。その後は日に日に歩ける距離も伸び、体力も付いて回復も進んでいきました。

大きな希望

それは手術後5~6日経ったあたりでしょうか、ストマパウチは毎日交換しています。Uナースがいつものようにストマ外来が終わった後、病棟に上がってきて「ibdlifeさん、そろそろやるよー」と声をかけてきて、私は支度を整えて処置室に向かいます(術後3日目くらいから自力で歩けてます)。

いつものようにパウチを外してストマをよく洗浄します。縫合が剥がれたポケットに便が溜まっているので念入りに洗い流し、きれいになったらデジカメで写真を撮ります。毎日のストマの変化を記録に取っているのです。特に手術直後は腫れているので大きく、それが段々収縮していくので変化はかなり大きいです。
その後、ポケットになっている部分に細い棒を差し込んで深さを測って行きます。

「あれ?くっついてきてるかな?」とUさん。
「え、ほんと?」と私。
「少し浅くなってるみたいよ。」
「横穴はどう?」
「そっちはまだ有るなあ。でも全体が大分締まって来てるよ。」
どれどれと助手を務めている病棟ナースのYさんKさんも覗き込んできます。消化器病棟なので看護師は皆WOCナースの資格取得を目指してるらしく、Uさんの助手をしたがります。他の看護師もちょくちょく覗きにきて、ストマの洗浄の手法や使ってる道具などをメモしています。
それにしても朗報です。再手術の前あたりは縫合が完全に外れてしまい、私のストマはでろんでろんに開いてしまっていました。これじゃもう家に帰れないかもなと悲観的になっていた私に、やり様によっては修復できると希望を持たせてくれたのがUナースです。それが徐々に効果を上げ始めているようです。

どうやら下の方から肉芽が盛り上がっているようです。自分の腹なので自分で覗き込めないのがもどかしいです。
「あと一週間くらいで横穴塞がらないかな?」と私。
「それは無理かな。でも上手く行くかもしれないね。」
スペシャリストのUナースにしても初めてのケースなので試行錯誤のようです。その判断が間違っていない事を祈るだけですが、私にとって大きな希望を抱かせる1日になりました。

おまけ
私の独断による、エレンタールのフレーバーレビュー。
IBD患者にはおなじみ経口栄養剤エレンタールは、飲みやすくするためにフレーバーが何種類か用意されています。全てを試したわけでは無いですが、私が試したフレーバーの個人的な意見と評価を書きます。
青リンゴ ○ 薬臭さはやや残るが甘く無難。
コーヒー ◎ 普通にコーヒードリンクとして飲めるレベル。これが一番。最後の方は毎日これにしていました。
オレンジ ○ 無難中の無難。そこそこ美味しく飲める。でもオレンジでは無い気がする。・・・思い出した、むかーし飲んだ粉ジュースの味に近いんだ。
 ○ 梅の味ではないな。青リンゴに酸味を足した感じだが、決して不味くは無い。オススメ。
パイナップル △ 飲めないほどではないが、後味が薬臭い。美味しくない。
コンソメ × いまいち・・・と言うか不味い。薬臭さは無いが妙な甘みが有り後味が悪すぎる。むしろ冷やすのでは無くコンソメらしく温めた方がいいのかもしれない。

他にヨーグルト、グレープフルーツ、フルーツトマト、マンゴーがあるようですが、飲んでないため未評価。

エレンタールは冷やさないとどんなフレーバーでも糞不味いです。でも恐れることはありません。冷やせば不味くて飲みきれないという事は無いです。出来るだけキンキンに冷やして飲みましょう。
私はコーヒーが気に入って毎日飲んでいましたが、同室のUCの子はコーヒー不味いと言っていたのでかなり個人的趣向で異なると思います。

回復への道のりは遥か遠い

病棟に戻るとすぐに回復へのプログラムが始まります。病室ベッドに帰ったその午後からリハビリ(理学療法士)のI先生がやってきます。体を起こすのは全然問題無かったのですが、いざ立とうとすると立ち眩みします。血圧を測ると70台しかありません。仕方なく歩行は諦めて足首とふくらはぎの筋肉を動かして血流を高める運動をします。ふくらはぎはポンプの役目をして血液を送り出しますので第2の心臓とも呼ばれるそうです。多分翌日は歩けるでしょう。前回よりずいぶんと気分はいいです。

食事は当分お預けになりました。パンク回避というのもありますが、くっつかずに剥がれているストマを、自然治癒させながら正常な形に戻すと言う、上手く行くかどうか判らない手段を取るため、出来るだけストマに負担をかけないための処置です。ストマから何も出ないのが理想的なのですが、何も食事をしなくとも消化液は出てきますし、腸粘膜の新陳代謝によってカスのような便も出てくるのです。でも、食事をしなければ便がポケットに溜まって肉芽の盛り上がりを邪魔することも少ないでしょう。
手術前の週からずっと首に中心静脈へのパイプが入りっぱなしなので、それを使ってまた高カロリー輸液の注入を再開します。水分は問題無いのでエレンタールも再開です。

ストマの修復はUナースが色々な事例や文献を調べて対策を練って下さいました。まず、私のストマの状態のおさらいです。
縫合してある筈の糸が全て外れてしまい(溶けた?)腸管のほぼ一周にかけて大きな(深さ3cmくらいの)ポケットが出来てしまっています。これだけならその内自然治癒で埋まる可能性があるのですが、その最深部に横穴があり、そこから便が漏れてポケットに溜まるのです。このために正常な状態で肉芽が盛り上がりポケットが塞がるか判りません。便が邪魔になり最終的に歪なストマになってしまう可能性があります。また、便の通り道が残ってしまうとそこが瘻孔化してしまい、痔ろうと同じように慢性的な炎症を起こしてしまいかねません。
もちろん現在のこの状態では、普通の状態でストマパウチを取り付けることが出来ません。剥がれたポケット部分よりも大きな穴を持つ大型サイズのパウチを使用して現在取り付けていますが(手術室にUナースが入って取り付けてくれました)、パウチ穴の縁が常時ポケットから出てくる便で汚れるので、粘着部分の持ちが非常に悪く、1日持てば良い方でしょう。このままでは社会復帰も望めません。

剥がれたストマ(イメージ)
剥がれたストマ(イメージ)

Uナースが「ストマ修復」に使ったのは「イソジンシュガー」と「アルジサイト銀(看護師は皆AG[エージー]と呼んでました)」のシートです。

イソジンシュガー
イソジンシュガー

イソジンシュガーは床ずれの治療に多く用いられている軟膏で、「創傷治癒作用と殺菌作用を示し、肉芽増殖を促す」とのことです。見た目はハーゲンダッツサイズのアイスクリームカップ状の容器に入った味噌にしか見えません。これの正体は70%が「砂糖」です。名前の通り砂糖とイソジンで出来てます。まだ持ってますが、うかつに蓋を開けて乾燥させてしまうとジャリジャリになってしまいます。

アルジサイト銀
アルジサイト銀

もうひとつの秘密兵器はアルジサイト銀のシートです。看護師達は皆これを「エージー(AG)」と呼んでいるようです。中には柔らかい厚紙のようなシートが入っています。これの効能も抗菌しながら創傷治癒の促進なので、イソジンシュガーとほぼ同じ目的に使われます。こちらは余計な滲出液を吸収する機能があるので、私のストマに出来たポケット内の水分を吸収して、瘻孔化を防ぐ目的があります。

Uナースの作戦は、まずイソジンシュガーでストマの周りのポケットを埋めてしまいます。そして横穴の空いている部分にAGを小さく切って差し込んでおきます。これで瘻孔化や炎症を防ぎながら肉芽の盛り上がりを促進し横穴を埋めてしまおうという目論見です。
これをストマパウチ交換時とパウチ交換しない日はストマ周りを洗浄してやはり同じことを行ないます。ですのでこの作戦中のパウチは2ピースが必須です。

Uナースの作戦イメージ
Uナースの作戦イメージ

果たしてこれが上手く行くかどうか?Uナースもある程度の裏づけはあるとは言えそれほど確信はないようです。Uナースとしても初めての試みですし、すなわち病院としても初めての治療法なのです。ですが手術はもう無理なので今あるストマを直して使い続けねばなりません。この作戦が上手く行く事を信じて続けるしかありません。
この段階では退院の予定日はまだありません。ストマが修復されない限り家庭での維持管理は無理なので病院から出られません。Kb先生からは「2週間(当初手術の入院予定期間)では無理。それが何週間になるか今の段階では答えられない」と言われています。道はまだまだ遥か先まで続いていて出口は全く見えません。

手術後はICUで一泊

「ibdlifeさん!わかりますかー?終わりましたよー!」
麻酔が覚めていつものように手術終了です。今回も事故も無く無事に目が覚めました。何千分の一くらいのリスクはあるので、回数をこなすといつかそのリスクに当たる気がします。気が付くとベッドに載せられてガラガラ移動していました。心なしか前回より体も大分楽な感じです。
今回は確実にICUに入ることになっています。前回もその予定でしたが、H病院は救急指定病院でもあるので、限りあるICUのベッドは重症者や緊急患者優先です。前回は満床か他に優先すべき患者がいたために、ICUに入らず直接病室に戻ったようです。しかし今回は必ずICUに入れるようにKb先生がオーダーしてあります。前回の予後不良(実質手術失敗なのですが医師は決してそんなことは認めません)はKb先生にも堪えているようで、今回は出来るだけの手を打つようです。

ICUは手術室と同じフロアの反対側にありました。ここには初めて入ります。中はイメージしていたICUとは違いました。無菌室みたいな医療機器以外何も無いガラス張りの部屋を想像していたのですが、実際はナースステーションのような広い事務室の壁際に数台ベッドが並べられているような場所でした。廊下から患者家族が覗けるようなガラスの窓もありませんでした。
入ると、担当看護師が挨拶してきました。ICUは患者一人に看護師が一人ずつ担当に付きます。さすがよく訓練されているようで、病棟看護師のようなフレンドリーさはありません。もっともここに入る患者は皆生きるか死ぬかの切羽詰った人ばかりなので、就業時間のすべてが真剣勝負です。病棟看護師のように患者と軽口を言い合って笑っているような余裕はありません。(とは言え私は病棟のあの感じは大好きです)

まず担当看護師に時間を尋ねました。午後3時半でした。手術開始がお昼くらいでしたので3時間ちょっとの手術時間です。前回の半分ですから「手術時間に比例して体が辛い説」を唱えている私的にも大分体が楽なのが納得できます。
すぐに家内が入ってきました。白衣とか帽子とか特別なものは何もつけずに普段のままです。既にKb先生の術後の説明を受けたようで、手術自体は上手く行ったけれど、ストマの再造設は癒着が酷くて腸が動かせなかったため断念したと聞かされました。まーそんな事だろうと思っていました。それほどガッカリはしません。「出来ない可能性」を事前に聞かされるということは、ほぼ無理だと暗に言われたようなものです。まあ、その事は事前にUナースと大分突き詰めて話し合ったので、Bプランもありましたし、それはそれで仕方ないと思っています。

ICUですので家族と言えど長時間いる事はできません。数分話したら今日は帰ってもらいます。どうせ明日病棟に戻りますしね。
少し落ち着いたら周りを見渡してみました。やはり今回は心も体も余裕があります。ICUのベッドは6台ほど、そこに私を含めて現在4人の患者が入っているようです。ベッドの間はカーテンで仕切られているので、お互いどんな状態なのかは判りません。ただ、私以外は皆さん重篤のようです。私のような雑魚患者がICUに来て申し訳ないです。

担当看護師さんは付きっ切りではありませんが、30分毎にバイタル(体温、血圧、心拍数)を計りに来ます。それ以外は机に座って事務仕事をするか、患者の薬の用意や処置が終わった器具の片付けなどをしています。患者数に対して看護師数が多いので、病棟看護師ほど忙しいようには見えませんが、決して間違うことが出来ないストレスもあるでしょうから大変なのでしょう。
夜もずっとそのペースでベッドサイドに看護師が来ます。体が楽とは言え、やはり手術当日はなかなか眠るのは難しいです。ICUですし、両側の患者は私よりずっと大変な状況(一人の方は手術後三日間まだ目が覚めないとか)ですから、そちらは機械がピーピーなったり、痛くて唸っていたり、容態が悪化して当直医師が出たり入ったり、結構騒々しいです。多分私の担当看護師が一番楽だったでしょう。もちろん手が足りない時はその場にいる看護師が担当関係なく協力し合います。
ちなみに今回は手術後すぐ「水分OK」になりました。ストマの作り直しも無かったので、腸管はまったく無関係の手術だったのです。よって麻酔が完全に抜けた段階(夜の8時だったかな?)でお水が飲めました。前回は一晩口が渇いて苦しかったので、その点楽です。担当看護師がいるので、「欲しい」と言えばすぐにお水を貰えます。病棟のようにナースコールを押して30分も待たされるなんてこともありません。あ、そうそう、今回は鼻から胃に通す管も手術室から出る時には既に抜けていました。あれはいつも苦しくて大嫌いなので幸いでした。

今回も長い夜でしたが、2時間ほどは眠れた気がします。体調的にはまずまずです。背中に入ってる管に鎮痛剤を流し込むボタンが付いていて、痛くなったら自分でボタンを押します。一応連続して押せないような仕組みが付いていますが、私はそれほど痛みを感じていませんでしたので押しませんでした。押さなくとも自動的に少しずつ鎮痛剤が流れていくようになっているそうです。
朝になると事前に渡してあった歯ブラシを看護師が持ってきて「歯磨き」をさせられます。8時頃になると看護師が続々と「出勤」してきて、ICUも10人くらいの看護師が忙しく歩き回っています。目の前が「ナースステーション」なので、朝の引継ぎとか目の前で行なわれます。

9時頃に夜勤から日勤に看護師が替わります。目の前で引継ぎをやっていたので既に知っていましたが、私の担当は男性の看護師になりました。なんだろう?このガッカリ感は^^;。
担当替わりの挨拶の後、体の洗浄をしてくれました。素っ裸になるのに男性看護師の方が気を使わないと見る向きもありますが、私は女性の方がいいですね。飲水OKと言う事もありますので薬も飲み始めます。でもお水はぬるい水道水目の前で汲んでこられるっていうのもなあ。出来れば冷えたウォーターサーバーの水とかならんもんですかね。

朝の回診でKb先生が来ました。ここで腹帯を開いて初めて患部を見ます。ストマはそのまま、ドレーンは2本が吸い上げるパック袋(調べて初めて知ったけど「サクションリザーバー」と言うらしい)に繋がっています。1本は腹から5センチほど突き出してクリップで閉じられています。正中の縫い目、今回は縫わずに透明フィルムで塞がれているだけです。いわゆる開放法という奴でしょう。前回ピンがいくつか飛んでしまった事への対処だと思います。
Kb先生がドレーンのクリップを外して、生理食塩水の入った注射器を管に差し込み水を押し込みます。するとお尻の内側に何か入ってくる感触がした後、それがお尻からジャーと出て行きました。もちろん現在紙オムツしてますからね。
私が「お尻から出てきました」というと、先生は意外そうに「あ、出ました? う~ん」とか考え込んでいます。私の体は大丈夫なのでしょうか? 「まだちゃんと塞がってないのだろうけど、段々塞がります。」と言われたけど、ちょっと心配です。

回診が終わると、「じゃあ体起こしましょうね」と言われてベッドを起こします。最初は30度くらい、大丈夫なら徐々に上げます。私は今回はそれほど貧血にならず90度(とは言っても枕が落ちてこないからせいぜい70度くらい?)近くまで起こして「そのまま頑張ってみて下さい」と30分ほど放置。もちろん具合が悪くなったら言えばすぐ戻してくれるのですが、今回は全然平気。しかし、テレビがあるわけでもない、本を読むわけでもない、寝られるわけでもない、ベッドを起こして30分ボーっとしてるのも辛いなあ。

お昼前になると、「それでは病棟に帰りましょう」となりました。ICU1泊もこれにて終了です。大体どういうところか知れてよかったけど、多分病院によって違うんだろうな。テレビで見たICUと全然イメージ違うし。
しかし、ICUのベッドはふかふかで病棟のとは別物です。寝心地もいいです。このまま病棟もこのベッドのまま帰りたいです。病棟から私の担当チームのNナースと助手さんが二人で迎えに来ました。病棟のベッドを押してきて。がっかりです。これをICUのベッドの横に並べて、私がごろんと移動して乗り換えます。あとは病室まで押していってもらいます。

不安の中の再手術

そして再手術当日です。予定の手術室は私の前にひとつ入っているので2番目です。前の手術が終わり次第と言う事なのですが、昼前くらいには入れるだろうと言う事でした。
一応準備は万端です。栄養状態もギリギリですがどうにかクリア。もう5回目の全身麻酔手術なので、その点で恐れるものは何もありません。というか患者は腹をくくって手術を受けるしかないのですし。

今回の手術の目的は3つあります。
1)開いてしまった腹膜とそこから飛び出した腸ヘルニアの修復
2)人口肛門(ストマ)を右に再造設(可能であれば)
3)肛門閉鎖部の洗浄用にパイプを通す
この他に、前回腹膜が開いたり、縫い目の針が二つほど外れて傷が上手く付かなかった事(10日以上経っても抜糸出来ませんでした)もあり、浸出液が大量に出ていたため、ドレーンを3本くらい入れるようです。
私にとって、最重要なのはストマのクオリティなので、この不完全なストマの修復は必須ではあるのですが、ごらんのように手術でのプライオリティは低いです。腹内の癒着の状況によっては(左から右に)動かせないと予め言われていました。同じ左に付け直すことも、上手く付かない可能性が高いので無理のようです。
出来る限り「完全な状態」のストマを手に入れて退院したいのですが、なかなか難しいかもしれません。手術前に医師から「出来ないかもしれない」と言われているのはその可能性が高いからです。

この件についてはストマ・スペシャリスト(WOCナース)のUナースと、この2日間相談していました。実は剥がれていたストマ部分が少し付きかけている感触を毎日細かくチェックしてくれたUさんが得ていたため、「もしストマが再造設出来なくとも、管理を上手く出来れば肉芽を盛り上げて現状のストマを修復できる可能性がある」と言われていました。今回の入院において、執刀医よりも信頼して頼りに出来るのがUさんでしたので、再増設が出来なかった場合その可能性に賭けようと思いました。

肉芽を盛り上げて横穴を塞ぐ
肉芽を盛り上げて横穴を塞ぐ

 

3の「肛門閉鎖部の洗浄用パイプ」についてですが、前回の手術でJパウチを切り取って肛門を塞いだのです。肛門から数センチは「腸」が残っています。ここが完全に塞がってないようで、ピンク色の液体が少し出てました。なので、そこが塞がるまで腹から管を入れて肛門の裏側を生理食塩水で毎日洗浄しようと言う事でした。

さて時間です。今回も自分で歩いて手術室に入ります。もうこんなの慣れっこになってしまいました。いつものようにスタッフに「よろしくお願いします」と挨拶して手術台に横になります。背中に鎮痛剤の管を差し込まれて仰向けになり、センサーを色々取り付けられ、麻酔のマスクを付けられます。今回も深呼吸3回で意識が無くなりました。目が覚めたら全て上手く終わっているといいのですが・・・。

中心静脈栄養(IVH)始まる

手術は三日後ですが、血液検査での栄養状態が悪いため(飯もまともに食べて無いですしね)、その改善を行なうと今回の手術の主治医であるKb先生から言われていました。なにやら首からチューブを入れて静脈に直接栄養を流すとのことです。
「ああ、あれね。」もちろん知ってます。潰瘍性大腸炎(UC)患者ならおなじみIVH(中心静脈栄養)です。UC治療では全大腸に増悪が広がっったら絶食してこれを行うのが一般的のようです。何故か私、長期にUCを患ったくせにIVHを一回もやったことが無いのです。これが初の体験になります。

IVHは点滴の一種なのですが、首の静脈から差し込み、心臓に近い位置まで管を伸ばすと言う方法なので、通常の点滴のように病室のベッドで看護師にやってもらうと言うわけには行きません。ちゃんと医師によって作業が行なわれます。私の場合、処置室で副担当のS先生が行ないました。

まず、ベッドに横になり、手術のように首の差し込む位置以外をシートで覆います。顔も覆われるので作業を見ることはできません。
次に首の周りに局部麻酔が打たれます。そして(多分太い)針を首に刺されるのですが、痛みは麻酔のためにそれほど無いのですが、体は仰向けのまま首を90度左に向ける体勢を作業の間続ける事が50代の私にとって相当に苦しかったです。50肩の時だったら恐らく無理だったでしょう。
針を刺してからの作業は15分程度で終わります。最後に首に刺さっている管が動かないように、頑丈にテープで固定して終了です。

これで準備完了、これもUC患者にはおなじみ高カロリー輸液(あの黄色いパックですよ)を1日1000mlを2本ガンガン入れて行きます。これを行なうことにより血糖値が上がるため、1日数回血糖値を計り、値が150を超えた場合インシュリンを打たれます。

点滴があるからといって何も食べないわけではありません。普通に食事も出ます。もうストマパウチのパンクが心配だからと言って食べないわけには行きません。栄養状態が悪いままだと手術が延期されてしまいます。退院もそれだけ延びるのですから、不味かろうがなんだろうが無理してでも完食します。
幸いにして、Uナースの尽力により、パンクはほぼ収まっていました。これにより安心してたくさん食べることが出来ました、ありがとう。

もうひとつ、食事以外に経口でも栄養を取らされます。これも私は初体験ですが、UC患者にはおなじみエレンタールです。

エレンタール
これがエレンタール

ボトルに粉がセットになっていて、水で溶いて飲みます。そのままだと相当に不味いので、フレーバーを足して味をつけて飲みます。フレーバーは色々、レモン、オレンジなど定番っぽいのから、コーヒーやコンソメなんてのもありました。私はコーヒーがお気に入りです。不味い不味いと巷で聞いていましたが、きっちり冷やして飲む分にはおいしいとは言えないまでも普通に飲むことができます。こんなのニフレック(大腸洗浄剤)に比べたら屁でもありません。
フレーバーの味についてはその内書いてみます。全種類試したわけではありませんが、個人的な意見として感想のメモを取っておきました。

この頃同じ病室に若いUCの患者が入ってきました。H病院も今ではIBD専門の医師がいて、最新の治療をしているようでした。この後L-CAPを行なうようです。私のように「何でも食べていいよ」なんてことは無く、プレドニンとエレンタールを飲みながら絶食しているのを傍で見ながら「ああこの病院も常識的な普通の治療をするようになったんだなあ」と思う反面、「若いうちから食べたいものも食べられずにかわいそうだなあ」とわが身と比較して不憫にも思います。
ただ、私もそのような厳格な治療を初期段階から行なっていれば、あんなに早く手術に踏み切ることも無かったのかもしれません。でも終わった治療に「たら・れば」は禁物です。時間は戻せないのですからそんな後悔をしていたら不毛過ぎます。

兎にも角にも3日間ガンガン栄養を取って(前日夜からは絶食ですが)手術に備えます。一体1日何千カロリー取っていたのでしょうか?

再手術への準備

火曜日に再手術を決定し、手術は土曜日(6/18)のお昼からに決まりました。ほとんど心が折れかけていましたが、いざ再手術と決まってしまうと却って肝が据わってしまいました。まず、家内に話して承諾書にサインを書かせねばなりません。家内は元々今回の手術を反対していて、しかも失敗の予言までしていたのですから、会う事自体が気が重いです。仕事で忙しく数日病院には来られないことが判っていたので、電話では無く直接自宅で話をすることにしました。病室で話をして取り乱されても困りますし。

Kb先生が配慮してくれて、翌日外出許可が下りました。まだ術後7日で抜糸も終わってないので本来外出許可など論外だと思うのですが、Kb先生もすまないと思う気持ちがあるのでしょうか?
家内に状況を話すほかに、会社の手当てもしなくてはなりません。一人でやってる会社ですし、月を越すことは想定外だったので、各取引先への連絡、銀行での手続きなどを行なわねばなりません。下手したら潰れてしまいかねません。また、「退院後でいいや」と自宅に置きっぱなしの難病医療券の手続き書類、M病院のK先生に書いてもらう「臨床調査票」は今の内に出しておかないと、間に合わない可能性もあります。

縫った場所が開いてしまう恐れもあるので、縫い目もパーミロールで押さえた上に、腹帯をきつく巻いて、さらにコルセットで固めて行きます。これだと腰はほとんど曲がらないです。パウチが外れるのも怖いので食事も前日夜から取っていません。脱水防止に水分補給だけです。
病棟看護師のMさんに「気をつけなよ~、私お腹が開いて腸が出ちゃった人見たことあるからね~」と脅かしてきます。Mさんは6月中は夜勤ばかりで、私の節目節目の大変な時に担当してくれたので軽口を言えるほど親しくなっていました。再手術が決まる前後でも「本当にそれでいいの? 良く考えた方がいいよ?」と言ってましたが(Mさんは割りと病院に対して辛辣です)、大体において再手術以外でどうにかなる話では無いですし、いまさら転院して医者を替えるわけにも行かず、ましてや医療ミスで病院訴えても患者が勝てる見込みはほとんど無いですからね。
「もうなるようにしかならないんだから」と答えると、「あ、出た、投げやり~」などと言ってきます。別に投げやりじゃなくて、状況的に運命に身を委ねるより他は無いと思っているのです。手術を決めた以上、その結果が今より良いものであると信じて医者に任せるしかありません。私が如何こうして何とかなるレベルを遥かに超えているのですから。それに何も死ぬわけではありません。

病院でタクシーを呼んで、お昼前に自宅に帰ります。家内には「今日外出許可が下りたから一回帰る」とは伝えていましたが、異常な空気を薄々感じ取っているようでした。
状況と昨日のKb先生との話し合いの内容を家内に言いましたが、取り乱すことなく受け止めたようでした。幸いにして彼女も再手術が最善であると言う事は理解してくれたようです。
そちらが済んだらまず各所へ連絡。それから銀行へ行って振込諸々、さらにM病院に行って臨床調査票をお願いしてきました。一人で車を運転して来ましたが、後から病院に帰って言ったらとても驚かれました。そこまでは想定外だったようです。私も今思えばよくこんな無謀をやったもんだと思います。
それにしてもまだ手術から日が経ってないので体力の衰えは酷いものです。数百メートル歩くだけで貧血でしゃがみこんでしまいます。曇りで気温もそれほど高くなかったのが幸いでしたが、晴れて30度も有ったら倒れていたかもしれません。無事全て終わって夕方5時頃に病院に戻りました。

さてこの後、手術まで3日しかありません。一回目の手術から日が浅いので、栄養状態含め血液検査の数値はあまり良くありません。下手するとお腹切ってもちゃんとくっつかないと言う恐れもあると脅かされます。数値を上げるため翌日から「ドーピング」で無理やり体力を回復させることになりました。中心静脈栄養(IVH)です。

最悪の事態

術後の入院中はストーマのスペシャリストの看護師さん(WOCナース)がパウチ交換を仕切ってくれていました。ちなみに認定看護師になるのは相当難しいらしいです。
それがUナースなのですが、これがすこぶる美人!あ、いや、それはいいんです。私妻帯者ですし^^;)。同期ナースからは「姉御」と呼ばれるほどの気風のいい女性で私も信頼してお任せしています。(まだUさんのストマ外来に通ってるしね)

術後パウチの後は、コロプラストのイレオストミー用パウチ(センシュラ イレオ)からパイプを繋げて2リットルは入りそうな蓄便袋に落とし込んでいました。14年前の時は、小さなパウチを満タンになったら取り替える方法で、すぐにパンクしてたのですが、さすがに色々と手法は考えられてきているようです。
それで安心だと思ってたのですが、それもつかの間。食事が始まるとビシバシ漏れるようになって来ました。手術直後なので、ほぼ完全な水便でアルカリ性も強いためにパウチの接着面への攻撃性が強かったこともあります。しかもガスなどが溜まって圧力が掛かるために漏れて来る通常のパンクでは無いので性質が悪かったです。

まずストマは左にあるのですが、正中(要するにお腹の真ん中の線)の縫い目から出る浸出液がパウチの接着面を溶かせて漏れて来ました。ストマと正中は非常に近い位置にあるので、すぐに浸出液がパウチに触れてしまいます。
縫い目にパーミロールなどのラップをして漏れを塞いでしまう訳には行かないので(浸出液は出してしまわねばなりません)、パウチのプレートにパーミロールを被せて出来るだけ保護し、私は「左を向いて寝ない(浸出液を左側に流さない)」ことを鉄則にしました。

次にパウチの下側、左足の付け根に近い、時計で言うと4時から5時方向から漏れて来るパターンが頻繁になりました。人間のお腹というのは、座ったりするときに必ず皺が出来ます。歳をとるとはっきり皺として見えますが、若い人や太ってる人でもはっきりとした皺にならなくとも表面の凹凸や溝のようになってしまいます。こういう場合でもパウチの固い面で延ばして皮膚に接着するのですが、どうしてもその部分は弱くなってしまいます。私の場合左足付け根の上にその皺があり、そこから伝って漏れて来るのです。
※人口肛門手術の前に患者を立ったり座らせたりして、できるだけ皺を避けて造設予定位置のマーキングをしてくれるのですが、いざ手術になると中の内蔵の位置関係であったり、以前の手術の癒着であったり、また予定位置まで腸が伸びないなど、様々な理由で予定の位置に作られないことも多いです。

これに関してはUナースが非常に苦心されてました。モルダブルリングという粘土のような皮膚の凹凸を埋める素材があるのですが、それを細く伸ばして土手のようにパウチのプレート部分に貼り、皮膚にその土手を食い込ませてプレートの溶けをそれ以上広がらせない(文字で書くと何のこっちゃですが、とにかく色々試して下さいました)等の手替え品替えでどうにか防いでいたのですが、そうしてもまた予測外の場所から漏れてきたり・・・。
Uナースは外来の看護師ですから、突発的な漏れや夜間は病棟看護師が対処します。しかしそれが1日2回も3回もあると、こちらも申し訳なくなります。シーツや寝巻き、下着も汚してしまうので、ストマ交換も含めてただでさえ忙しい病棟看護師を30分近くも私に掛かりきりにしてしまうのですから。それで前回書いたように食事が取れなくなっちゃいました。まー食事しなくとも消化液は出るので漏れるときは漏れるんですけどね。でも排泄物がドバーっとぶちまけられるのと消化液主体とでは私の心理的ショックの大きさが違いますから。

とは言っても、今回の本題はそこではありません。パウチのパンクはまあまあ想定内でした。術後5日ほどの頃、処置室で私のパウチを交換していたUナースが発見したのです。(パウチの定期交換は処置室まで行って、パンクなどでの緊急交換は病室のベッドでした)
「あれ?これなに?」
ストマを洗浄したにもかかわらず、またストマの縁に何か付いているのです。横を押すともっと出てきます。それは便でした。
「えー?そんなありえない」綿棒で押してみるとストマと皮膚の繋がっている部分がペロンと取れました。細い棒のようなものを差し込んでみると数センチほどありかなり深いです。それにしてもストマの構造上そこから便が出るはずは無いのです。
細い棒をその開いた「ポケット」に突っ込んで探ってみるUナース。そしておもむろに。「腸管に横穴空いてるね」と。
私「え??!!何で?」
Uさん「判らない」
棒で探っているうちにストマと皮膚を繋いでいる縫った部分は全て剥がれてしまいました。手伝っていた病棟看護師のBちゃんとUさんが話しています。「縫った糸はどこ行っちゃったの?」「溶けちゃったんだろうねえ」
私「手術失敗って事?」
Uさん「う~ん」
私「また手術しなくちゃならない?」
Uさん「普通に考えて、よっぽどのことが無い限り再手術はないし、Kb先生はそうしないと思うよ」
私「どうなるんだろう?」
Uさん「とにかくKb先生に見てもらおう」

翌日、Kb先生立会いの下、Uナースがストマを張り替えることになりました。Kb先生は「横穴なんてありえない」と言います。私もそう思いたいです。
しかし、なかなか信じられないKb先生の前でUナースが指をずぶりとストマの穴に突っ込みました。(いや~ん、お尻に指入れられた感触に近い)
Uさん「先生、この3時(方向)のところ」
Kb先生も太い指を私のストマに突っ込みます。(やめて!そんなに太いの無理よ!)
先生「う~ん・・・」

剥がれたストマ(イメージ)
剥がれたストマ(イメージ)

Kb先生とUナースは相談しに処置室を退出しました。私の前で率直な話しは出来ないのでしょう。Uナースはストマのスペシャリストなので、担当医に直接意見が言えます。
ストマは病棟看護師が張替えてくれましたが、先生もUさんも戻ってこず、その後30分くらい私は放置状態。病棟看護師が、「ibdlifeさん、ひとまずベッドに戻っていいって」と声をかけます。私の治療方針について紛糾しているようでした。
しばらくしてKb先生がベッドに来て「明日CTを撮ってみましょう、それから考えましょう」と。

まだまだ続きます。眠れぬ一夜を過ごし、翌朝CT室に呼び出され、下半身を重点的に撮影されました。そして午後Kb先生にナースステーションの横の小部屋に呼び出されました。手術前に患者と家族への説明に使われる場所です。
「ストマはともかくとして、腹膜が剥がれて腸がヘルニアを起こしていました。」
青天の霹靂とはこのことです。そう言えば痰の絡む咳がずっと続いています。熱も38度あったり下がったりの繰り返しです。術後2日目か3日目、大きな咳をした時に腹に「ボコッ」と言う感触を覚えました。後から思えばそれが腹膜が剥がれた瞬間だったのかもしれません。
Kb先生「いくつか選択があります。このまましばらく様子を見るか、もう一度手術をするかです。手術をするなら、腸の癒着が進まないうちにできるだけ早い方がいいです。(壊れかけの)人口肛門は可能であれば反対側(右側)に作り直します。」
私は頭が真っ白でした。最悪です。心が折れそうです。あれだけ苦しい思いをして、もう終わりだと確信していたのに、もう一度手術をしなければなりません。前の手術はなんだったのでしょうか?
家内の手術前の「予言」が蘇ります。
「絶対に上手く行かない気がする。このまま寝たきりになる気がする。」
確かに上手く行きませんでした。ストマがこのままでは退院すらいつになるか判りません。「全くあいつは預言者かよ。金取って占いできるんじゃないか?」などと考えるとちょっとおかしくなって余裕も出てきました。少し落ち着いてみて、私の気持ちは固まりました。可能な限りQOLを高め、できる限り早く退院できる方法をとりたいです。それは再手術しかありません。様子を見ていても私の体は良くはならないでしょう。ヘルニアなど放って置いて治る筈もありません。もしストマがこのままであれば家庭で維持は不可能です。毎日2回パンクするストマなら外出も無理でしょう。治るまで入院しなければならないでしょう。それがいつまでか見当も付きません。それに再手術を今やるか半年後にやるかと言う話しなら今やった方がいいに決まっています。
「それでは再手術をお願いします。でも可能な限りパーフェクトな結果を期待します。」私はそうKb先生に告げました。

食事も治療のひとつな訳ですが・・・

食事は術後2日目の昼食から始まりました。最初は流動食というほとんど出し汁のようなものが出ます。

治療計画書入院時に「治療計画書」という表をもらい、確認のうえでサインさせられるのですが、それによると腸管切除術の場合、食事は術後4日目以降から始まる事になってます。従って2日目から食事開始というのはかなり早めですね。これは腸管の途中に縫合部分が無い(要らない部分を削除した末端をストマに作った)ので、途中の接合の回復を待つ必要が無いためと思われます。

最初は流動食から始まり、1日経過するごとに、「三分粥」「五分粥」「全粥」「常食」となります。常食になれば点滴も終了の予定です。

三分粥まあ、この食事も治療の一環なので味の方は我慢が必要です。何しろ病院食は味が無いです。
最初の「流動食」(起き上がれて無いので写真無し)はほとんど白湯と出し汁なのでどうって事ありません。飲めばいいだけでしたから。
次の三分粥、これはどうしても飲み込めずそれぞれ一口ずつ口に入れるのがせいぜいでした。味の無いお粥、まあこれはいいとして謎の緑のペースト、そのまま薄い汁にすればいいものを何故かとろみを付けてわざわざ飲みにくくしている汁はどうしても無理でした。ピンク色のものは多分ヨーグルトとフルーツをミキサーにかけたものと思われますが、既に食欲を完全に失っている私にとって、口に入れる気も起きないものでした。

五分粥うって変わって五分粥になると急に普通の食事っぽくなります。ご飯はおかゆですが、おかずはほぼ形のあるものになりますので、やっと満足な食事にありつけた気分になります。
そこまでは良かったのですが、パウチのパンクが起こり始め、この後食事どころでは無くなってしまいます。その件は次回書くとして、パンク時の処理を出来るだけ楽にするには出る物が少なければいい訳です。という事で私は自主的に食事をほとんど食べなくなってしまいました。これ、本当は駄目です。食事が取れるようにならないと治療は先に進んでくれません。ですが、とても食べる気にならないのです。

患者が食べられないとどうなるか・・・、体力を維持させるために点滴他の栄養摂取が試みられるので、却って患者は辛くなります。その話も後日ですが、皆様くれぐれも食事はちゃんと食べましょう。毎回食事をチェックされますが、完食すると看護師さんがとても喜んでくれます。

術後はリハビリに励みましょう

術後も2日目を過ぎると徐々に体力を回復してきます。まず、強烈な貧血ながら歩けるようになりました。リハビリの時間は午前と午後2回あるのですが、最初はほんの2~30メートル。午後はもう少し歩けてその倍50メートルは行けました。
最初の数日は血圧が低いため、リハビリのI先生(理学療法士)が車椅子を押しながら横を歩きます。血圧が下がって立っていられなくなったら座らせるためです。私は点滴棒を押しながらガラガラと歩きます。

術後の患者はできる限り歩くよう指示されます。14年前のH病院では「ひとりで勝手に歩け」がデフォでしたが、今は患者一人ひとりに理学療法士が付いて介助やアドバイスを受けながら歩く事ができます。特に午後の病棟廊下は、自主トレ組も含めて患者がぞろぞろと点滴棒を引きずりながら歩いているので一種異様です。
この術後に歩く事は非常に重要です。一番大きな問題は腸閉塞ですが、歩く事により腸の動きが活発になるため腸閉塞が起こり難くなります。とは言ってもそれでもなる人はいますけどね。
血流も良くなるので、術中・術後のうっ血で起こる血栓も防止できます。また、歩けばその分体力が戻ってきますので、術後の回復が早くなります。理学療法士と会話しながら歩く事による入院での心理ストレスの解消の側面もあるようです。

4日目にもなると血圧も上が100を超える日も出てきて(でも立ち上がると80台になっちゃうことも)立ち眩みの頻度は減ってきました。「立ち眩み」と言いますが、私の場合目の前が「真っ暗」になるのではなく、徐々に明るい部分が光りだし、最後は目の前が真っ白になってしゃがみこんでしまうタイプのものです。
以前も書いたように2002年に大腸全摘出手術を受けてから、私の血圧は上が100もあれば良い方になってきました。それ以前は120くらいあったのに不思議です。そのためにこの手術に関係無く立ち眩みは日常茶飯事でした。特に晴れた明るい日には起こりやすい気がします。コントラストで刺激が強いのでしょうか?
I先生とリハビリを行なって気づいたのは、横になっている時に100以上血圧があっても立ち上がって血圧が下がってしまうと立ち眩みになるが、寝てるときに90くらいしか無くても立ち上がった時にそれほど血圧の低下が無ければ平気だということです。その違いが何かが判れば対処しやすくていいのですが、何を原因としてそうなるのかは判りませんでした。
それでも日に日に歩ける距離は伸びて、数日で病棟の端から端まで75メートルあるのですが、それを2往復できるようになりました。